2009年12月31日木曜日

赤いおみやげ

掃除していたらでてきた毛沢東バッジと2日前に友人にもらったベトナムみやげのノート。

ベルリンの壁崩壊後に生きる人間として社会主義を支持するとは言えないけれど、近代の夢の名残にはノスタルジックにあこがれる。

2009年12月26日土曜日

ハイウェイ

今日は横浜の中華街にて家族で毎年恒例の食事会でした。父が昔、横浜で働いていたことから始まった習慣です。

帰り道はひさしぶりに車で京浜工業地帯を通り抜けました。オレンジ色の高速道路の街灯と工場の白い光、紺色の夜空と煙突からもうもうと出ている白い煙に見惚れてしまい、動画を撮ろうと思いたったときにはすでに羽田の近く。なんだかちょっと車の免許がとりたくなりました。道路が悪いのか、それともただ弟の運転が荒いのか、すごく揺れてしまった動画です。

2009年12月19日土曜日

メメントモリ

金曜の仕事帰りは六本木。目的は森美術館で開催中の「医学と芸術展:生命と愛の未来を探る」

いろいろとつめこみ過ぎてぼやけてしまった感じがしないでもなかったけれど、展示されていた鉄製の義手は「科学(医学)と芸術が出会う場所としての身体」というテーマの象徴ともいうべき美しさ。でも、見た目は繊細だけれど使うとなると、重そう。ほかにも17世紀から18世紀頃の象牙でできたミニチュア妊婦解剖模型や女の人の身体のお腹の部分をめくると内臓と胎児がびろーんと見える仕掛け絵本のような医学書はキッチュなかわいさがある。

とくに印象に残ったのがWalter SchelsとパートナーBeate LakottaのLife Before Deathシリーズ。病で人生の時間があまり残されていない人たちの写真を本人や家族の了解のもとに撮ったもの。左に生前、右に死後まもなくと並べられている。ちょっと涙がでた。同情とかではなく、生と死は連続しているけれど決定的に断絶しているということが2枚の写真で迫ってくる。

見終わって展望室に行くと見えるのはきれいな東京の夜景。東京タワーもクリスマス仕様。でも、撮りたい時にいつもカメラを忘れてしまう。

2009年12月10日木曜日

妄想の作法

結局、上司の方がセクハラ氏に私から話を聞いたとは本人に言わずに「見ているとあなたの行動は職場にふさわしくない」と言ってくれることなったのは1週間前。それ以来、被害はなくなった。というか、セクハラ氏はあいさつもしなくなったし目も会わせないようになった。とても気まずい。

オッス!トン子ちゃんの続巻がポプラ社から発売された。マスターの衝撃的な過去に電車の中で笑いを堪えたけれど、トン子ちゃんの作者はバカドリルのメイン絵師。そして、バカドリルがmixiの日記に書いたのが下のアントワネット妄想。わー、ビックリした。私もずっと前から「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」を応用するというのを考えていて、いろんなひとに訊いてみたかったのだけれど、ウザイめんどくさいと思われるのがオチと思っていたら同じようなこと考えている人がいるんだね。今日も「図書館になければアマゾンで買えばいいじゃない」の脳内KY発言にそそのかされてAmazon.co.jpを徘徊しています。

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【妄想入門・その8・アントワネット妄想】

「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」
マリー・アントワネットによるこの有名な発言が、当時のフランス庶民の感情を、大いに逆なでしたことは間違いない。しかし声高に彼女を批判した者の中にも、その裕福さに一種の感動を覚えた者は少なくないだろう。
虐げられた側にも、密かなセレブ願望はある。民衆は革命に蜂起しながらも、彼女に屈折した憧れを抱いていたに違いない。

格差社会と言われる現代。しかし18世紀のフランスに比べると、私たちにはまだ、それを憂うだけの余裕がある。たしかに生活は苦しいが、ときには自らアントワネットになりきることで、ひとときの裕福感を味わうのも悪くない。

「パンがなければお寿司をとればいいじゃない」
そう胸の内でつぶやくで、たとえそれが小僧寿司のいなりセットでも、私たちは自ら広げた選択肢に、心地よい手応えを感じることができるだろう。
「服がなければパジャマでいいじゃない」
近所のコンビニくらい、パジャマ姿でいいじゃない。真のセレブは外見など気にしない。自分に言い聞かせたアントワネット発言が、あなたを着替えの煩わしさから解き放つ。
「靴がなければティッシュの空き箱でいいじゃない」
捨てればゴミの空き箱も、身につけることでファッションになる。アントワネットの思想は早すぎたエコだったのかもしれない。ちなみにティッシュ箱を履くときは、中に5枚程ティッシュを残すとよい。残したティッシュがクッションがわりになり、履き心地が格段にあがる。

果たして物質的に豊かなことだけが、幸福の条件だろうか?
「車がなければおんぶでいいじゃない」「テレビがなければアリの観察でいいじゃない」「携帯がなければ貝殻耳に当てればいいじゃない」「トイレットペーパーがなれけば木べらでいいじゃない」「家がないなら他人のベランダでいいじゃない」
貧しさを嘆くより視点を変え、拓かれた可能性に目を向ける。
当時のフランスで、パンの代わりに菓子を示した彼女の言葉は、たしかに歴史上もっとも有名なKY発言と言えるだろう。しかし彼女が無邪気に提示した「いいじゃない精神」は、物質主義に固執したいまの時代にこそ、再評価されるべきではないだろうか?


これ買おうかな?

2009年11月30日月曜日

主観的な問題

職場でちょっとしたセクハラ騒動。物を渡すときに軽く手を握ってくるとか、挨拶する時にやたら肩や腕に触るというか軽く撫でてくるという程度なので、まぁ大騒ぎするほどでもないけれど奥さんがいるのに最低だなと思いつつ、毎回断っているけれど仕事帰りにお茶しようと誘われるとか、ビヨンセが腰を振って踊りまくるセクシーなPVを職場でこれたまらないよねと言いながら見せられるとかも、中南米の人なので違う文化ということもあるし、困った大人だなと思いながら受け流してきたのだけれど、ここ数週間はさりげなく後ろから近づいてきて腰に手をまわされることが何回かあって、さすがにちょっと嫌だなと思っているとほかの人にコメントしたところそれが上司の人に伝わって事情聴取としてお茶をすることになったのは先週の金曜日。

今までの経緯を説明すると、別の日に本人を呼び出して注意すると言ってくれた上司。ありがたいけれど、まだ笑って許せるくらいの話。そこまで大きい問題になると思っていなかったので慌てて、結局は今の状態を認識してとりあえずは様子を見てもらうことになった。

セクハラというのはとても主観的な問題だという話になった。ほかの人にはダメでもその人には気にならないということがある。どこで線を引くかは難しい。お茶を飲みながら、周りからセクハラ要注意人物と思われているほかの男の人の話になったときに「あの人は私にもやたらと触ってくるのよ」と言いながら「女」の顔で笑った上司。私はどこまで許せるんだろう。

これが職場で見せられたPV↓

Beyonce_Single Ladies

こっちの動画だったらよかったのに。
上のPVの振付をしたJONTE。すばらしくかわいい↓


2009年11月27日金曜日

燃えてしまえ!(エジプト3日目)

「お前の家など燃えてしまえ!」
アラビア語で人をののしるときにはこの一言!性的な意味の多いスペイン語の罵り言葉に比べるとなんだかかわいらしい。

さて、3日目はギザのピラミッドへ。

タクシーの運賃は15から30ポンドが目安だよとの言葉を胸に友人の家を出発。最近カイロで導入されたのがメーター式のタクシー。友人の話では代金の交渉は必要ないし、場所によっては普通のタクシーより安いことも多いのでよく利用していたのだけれど、どうにも最近メーターに仕掛けがされているのか、あれ?高い!と思うことが増えたという。

大通りに出てタクシーをつかまえようとするとメーター式の白いタクシーがちょうど来たので乗ってみる。運転手が同行者の男の子に助手席に乗れと言ったので、私はメキシコと同じだと思いながらひとりで後ろに座った。そのほうが運転手も話しやすいのだろうし、一度メキシコで運転手が説明してくれたことには心理的な距離の問題でもあるらしい。大まかに言うと、運転手が前で客が後ろに座るという図式は、運転手のほうが地位が低いという感じを与えるのだとか。

ギザへと向かう道すがらどんどんメーターは上がっていく。これは仕掛けのあるタクシーに乗ってしまったかなと思いながら、外を見る。荷台に大量のむきだしのパンを乗せたトラックが横を走っていく。そのうちにピラミッドが見えてきた。すると2、3回それぞれ別の若い男がタクシーの運転手になにかを話しかけて、運転手がそれを断っている。問題なく着ければいいけれど、あやしいなと思っていたらやはり裏道に車を止めた。そこに運転手の知り合いらしい黒いガラベーヤを着たおじさんが近寄ってきた。その時点でタクシーの料金は30ポンド。ここで時間をとられたらタクシーの運賃は上がっていくし、変なことに巻き込まれそうだしと急いで降りてお金を払って入口へと歩いて行く。想定内の料金だけれど、嫌な気持ち。どこかのお店に連れて行かれるならともかく裏道はなにが起きるのかわからないから怖い。とはいうものの、エジプトに来る前にラクダ乗りの勧誘や物売り、タクシーがしつこくて大変だと聞いていたけれど、友人の話では以前は断ったり無視すれば罵られたのに政府の方針が変化したのか数ヶ月前から妙に礼儀正しいらしい。確かにしつこくない。そしてカイロは治安がいい。

思ったよりも迫力なくただただ暑かったピラミッド。じりじりと照りつける日射しの中、スフィンクスから何とか王のピラミッドへと歩いて行くだけで大変。馬車もいるけれど、下がアスファルトの道で馬が滑ると御者がペチッと鞭で叩いていた。場内には入らず、スフィンクスの目線の先にあるというピザハット、もしくはケンタッキーから見るくらいがちょうどいいかも。ピラミッド登頂も禁止されている。疲れてピラミッドの一番下の石に座っているとおしゃべりしていたのにときどき思いだしたようにピーっと笛を吹いて注意するのは、カイロのいたる所で見かける白い制服のおじさん。警察なのだろうけど、よれっとしているのは暑さと埃のせいかな。

ピザハットは高いから、エジプトの庶民料理コシャリを食べに行こうと言われたのでカイロのタフリール広場の方へバスで戻ることにした。エアコン付きだと2ポンドらしい。バス停を探してぐるりと歩いてもよく場所がわからなくて困っていたところに、「ギーザギーザ、メトロギーザ」と叫ぶおじさんのバスがやってきたので駆け寄って乗った。メトロのギザ駅まで出てしまえば地下鉄でタフリール広場まで行ける。このバスはエアコンなしで75ピアストル。

コシャリは米とマカロニ、スパゲッティなどのパスタ、ヒヨコ豆、レンズ豆に揚げた玉ねぎとトマトソースをかけた料理で5ポンドほど。安いけれど味が単調で、最初の5口くらいはおいしいけれどあとはなかなかスプーンが進まない。酢や唐辛子ソースなどをかけてごまかしながら食べるのにも限界があって完食できず。非常に予算がきびしい旅の人は毎日これを食べるらしいけど大変だなと思いつつ今回の旅の同行者がどうもそういう旅のつもりでいるらしいことに薄々気づく。私だって予算が多いわけではないけれど、あまりに細かいと嫌な気持ちになる。なんとなくこれからが不安になってきた。

2009年11月24日火曜日

埃の国(エジプト2日目)

さて、日が昇るとカイロの街並みってば茶色。さっそくバスマさんというエジプト人の女の子といっしょに考古学博物館へ。バスマさんの名前はSMILE、笑顔という意味だそう。

入場料は60ポンド。エジプト人なら1ポンド。60倍。館内はすごい人で、世界中からの観光客に各国語を操る多数のエジプト人のガイド。予想外に中国人が多くて、日本人はほとんど見かけなかったけれど、若いエジプト人ガイドが見事な発音の北京語で説明する姿に少し胸がときめいた。意外性というやつ?

人も展示品も多くて、すばらしいのにありがたみがない。ツタンカーメン王の黄金のマスクが展示されている部屋では壊れかかったエアコンが工事中のような大きい音をドドドとたてていた。ミイラ室に入るにはさらに100ポンド。バスマさんは文化人類学を専攻しているのでタダ。1ポンド20円ほどだけれど、ミイラ室に2000円の価値はなかったかも。それよりも、お金を払わないで見られた動物のミイラ室の巨大なワニのミイラがおもしろかったし、壁に並ぶ4段ベッドみたいなのに無造作に置かれたエジプトのグレコ・ローマン時代のミイラは人の形をした包帯のかたまりとグレコ・ローマンの肖像画の組み合わせが不気味な魅力。

お昼にマクドナルドで食べたマックアラビーヤはエジプト限定メニュー。イスラム教の国だから豚肉を食べないので、鶏肉と牛肉のどちらかを選べます。値段は日本とほとんど変わらないかむしろちょっと高いかも。



その後友人とバスマさんと別れて、ルクソールまでの電車のチケットを買いにラムセス駅へ。

チケット売り場を探して少しうろうろしたけれど、プラットフォーム11に行けと言われて無事に2日後の夜に出発する切符を購入、その後カイロの街中を少し散策。

夕飯はイエメン料理レストラン。殺風景な店の中に入ってテーブルに着くと奥から大きな紙を2枚持ってきてバサッと敷いてテーブルクロスに。注文を頼むと、最初にでてきたのはボンとテーブルクロス代わりの紙の上にそのまま置かれた四つ折りの焼きたての大きくて平べったいパン。塩が効いててとても美味しい。豆料理も美味。食後のロイヤルミルクティーも濃厚で美味しゅうございました。ごちそうさま。

2009年11月23日月曜日

千のミナレットの街(エジプト1日目)

エジプトへ向かう飛行機はアエロフロート。勇気があるなー、といろんな人に言われたけれど清潔で快適でした。途中ででてきたおやつがアイスだったのも嬉しかった。抹茶アイスをチョイス。


トランジットで立ち寄ったモスクワ。空港で働く人がまったく笑わない怖い、と思っていたら空港内に響き渡った笑い声。スピーカーのスイッチを入れたままおしゃべりしているらしい。隣のロシア人のおばさんと目を見合せて笑う。モスクワを飛び立ったのは夜の20:30。ぐるっとモスクワの上空を旋回すると下に見えたのは冷たくて澄んだ空気の中でキラキラとオレンジ色に輝く街の光。

エジプトに着いたのは夜の11時ごろ。飛行機を降りるとモスクワとは違って暖かい。半袖で充分。印紙をUS15ドルで購入。それをパスポートに貼って窓口に見せればオーケー。到着ゲートを出ると、笑顔で迎えてくれたのは友達とその旦那さん。お世話になります。

カイロの街はもちろん夜、タクシーから見える街並みにところどころ緑色に光るモスクのミナレット(尖塔)。カイロは千のミナレットの街とも呼ばれています。

2009年11月18日水曜日

Ciudad Lluvia

Hoy despierto y me parece que, aun sigo soñando
Puedo oir al mar llamandome
Doy un salto fuera de la cama
Y abro la ventana
Me da un beso la brisa salada

Y en la cocina todo esta ordenado
Ya no hay platos sucios
Me pongo a bailar
Y en las noticias ya no hay nada de que hablar
Por que en el mundo
Todo tiene su lugar

Hoy me alegro de ir a trabajar
No se me hizo tarde
Oigo musica en toda la calle
Veo a la gente y me parece que, aun sigo soñando
En sus ojos, yo me puedo ver

Y en la avenida todo es un carnaval
Por que en tu mundo yo ya tengo mi lugar

Antes del atardecer, voy a la playa
Puedo oir al sol, llamandome
Veo a la gente y me parece que, aun sigo soñando
En sus ojos yo me puedo ver
Doy un salto dentro de algun bar
Tal vez te pueda encontrar
Sirveme un martini

Sale la luna, todo es un carnaval
Por que en el mundo
Todo tiene su lugar
Y en las noticias ya no hay nada de que hablar
Por que en tu mundo me voy a quedar

Para pa pa
pa ra ra

En la cocina todo esta ordenadoo ya
Me pongo, me pongo, me pongo a bailar
Todo es un carnaval, un carnaval

Por que en tu mundo, en tu mundo
En tu mundo yo ya tengo mi lugar.




Fase_Acapulco 78

2009年11月9日月曜日

I'M SO MUCH PRETTIER INSIDE



Gnarls Barkley_Blind Mary

I love Mary!
Blind Mary, marry me
I love Mary!

She has never seen the sunshine
Yet she's getting along just fine
She's not staying, she's just passing through
Hey, do you mind if I follow you?

[Chorus]
I love, Mary!
Blind Mary, marry me
I love, Mary!
Yeaaaahhhhhhhhhh

I heard a voice say catch me if you can
Before you know it I was holding her hand
It's harder to imagine than understand
How she knows exactly who I am
Yeaaaahhhhhhhhhh

[Chorus]

She's my friend, she doesn't judge me
She has no idea I'm ugly
So I've absolutely nothing to hide
Because I'm so much prettier inside
Yeaaaahhhhhhhhhh

[Chorus]

2009年11月5日木曜日

中華人民(4日目+5日目)

お酒の力を借りたおかげで眠れた。朝起きると壁が薄いから隣りの部屋の人の気配がずいぶん聞こえてくる。たぶん昨日は寝ぼけていたんだろうということにする。

油っぽい中華料理に疲れたので、サブウェイでサンドウィッチを買って人民公園で食べていると、「日本人?」と3人の若い子が話しかけてきた。遠距離恋愛中の彼女が故郷の街から弟とやってきたので、上海で働いている男の子が2人を案内しているところだという。「中国にいて中華料理を食べないで、サブウェイを食べるなんて!」と言って、これからちょうど2人を案内するところだからといろいろな中国茶を試し飲みできる功夫茶に誘われたので一緒に行くことにした。
 
話を聞くと、大学の授業で出会ったふたり。背が高い男の子(のちに彼氏になる)が前に座っていて「よく見えないんだけど!」と文句をいったのが出会い。ラブコメみたい。5種類のお茶と中国ならではのお茶請けを3種類。すべて説明が中国語だったけれど3人が英語で説明してくれた。中国の女の子が油っぽいものを食べてあれだけ細い理由がわかった気がする。彼女とその弟の分のお金を払い、さらには彼女の家族へのおみやげもどーんと買うジミー(男の子の名前)を見て、やっぱり男の子はこうでなくちゃね、と思う。

3人にお礼を言って、別れを告げる。ジミーにはバーしかないからあそこは夜に行くところだよと言われたのだけれど、『フレンチ上海』(平凡社)という本を読んでから興味があったので、フランス租界に行ってみることにした。

イギリスやアメリカが金銭面や統括上の便宜性から租界を共同で運営しようとする中、共同租界への参加を否定したフランス。そして、ビジネス中心で発展した英米の共同租界とは違い共和制の理念の下、「フランス式文化政策」が推し進められたフランス租界には国内外の様々な紛争が原因となって多くの中国人やロシア人、韓国人、ユダヤ人たちが住む場所を求めてやってきたという。そして、その自由な空気を好んだ知識人や思想家が住むこの租界は世界中から革命的思想を持つ人々が集る拠点になった。中国共産党もここで産まれたのです。日本のガイドブックにもやたらと紹介されている地区だけれど、行ってみると残念ながら昔日の名残はきれいに整備され、お台場のような場所となっていた。ジミーの言ったとおり。孫文の家だけを見て去る。

そもそもそんなに観光に興味がなかったのだけれどその週から火曜日は観光地の入場料が半額になったとテレビでみたので、東方明珠塔に上って見ることにした。

そんなに混んではいなかったけれど、並んでいるとその脇のすき間を後ろから来た中国人たちがどどっと進んでいく。本当に待てないんだね。入口にあった日本語のパンフレットを並んでいる間に読んでいたのだけれど、読み終わってかばんにしまおうとすると前にいた中国人のおじさんが何も言わずさっと手をのばして私のパンフレットを手に取り読み始めた。驚いた私と日本語にとまどうおじさん。微妙な空気が流れた。

東方明珠塔から見た外灘に並ぶ豪奢な租界時代の建物はオレンジ色に光っていた、反対側を見るとSFの惑星都市のような高層ビルが白い光で浮かび上がる。東方明珠塔の地下にある歴史博物館はおすすめ。凝っていておもしろかった。柵をどんどん乗り越えて展示物と写真を撮る中国人の姿も見られます。





租界時代からの建物を使ったホテルはたくさんあるけれど、そのグレードもピンきり。5日目は四馬路(福州路)にある少しグレードアップして新城飯店、すなわちメトロポール・ホテルに泊まった。四つ角のうち3つが同じ形のビルの交差点(パーマー&ターナー事務所の設計)。その不思議な迫力に興奮した割に写真を撮っていないので、1930年代に撮られたと思しきその交差点の写真をどうぞ。今もまだこんな感じです。


最期の夜は街をなんとなくブラブラしてゆったり過ごしました。食べてみたかった麻辣湯も食べられて大満足。麻は山椒の辛さ、辣は唐辛子の辛さ。ちなみにマクドナルドにあるのが麻辣バーガーというたぶん中国限定メニューは豚肉にちょっと辛いソースがおいしかった。

麻辣湯は春雨や白菜やホウレンソウ、きくらげなど自分の好きな野菜、お肉をいれて食べる辛いスープ。普通はお店の人にこれとこれとこれを入れてね、と言うとそれらの具材をさっとスープに入れて煮てくれるのだけれど、後ろからどんどん押して自分たちの注文を大きな声でする中国人の中で言葉のできない私たちが注文することは無理だろうと思っていたときに見つけたのが自分たちで好きな具材を選んでかごに入れてお店の人に渡せばそれでスープをつくってくれるお店。辛くて鼻水がでるけど身体は温まるし、ちゃんとしたレストランで食事はしなかったけれど、安くておいしかったです、上海。

中国の女子トイレの汚さにも目を見張ったけれど、この旅で一番印象に残ったのは老若男女、知らない人に躊躇なく話しかけて会話する中国の人たち。地下鉄でも街角でも、普通に話しかけられた。もちろん何を言ってるのかわからないのだけれど、ナンパとかではなくて本当にささいな質問。道だとか、時間だとか、地下鉄の駅のことだとか。日本ならわからないことがあったらだいたい自分で情報を探して処理するか、専門の人に訊くけれど、中国の人はまず横にいる人に訊く。知らない人とのあいだの壁の薄さ、低さに驚いた。

上海は治安がいいと思ったけれど、一度だけおじさんが現行犯逮捕されてパトカーに乗せられているのを見かけた。そのときも、パトカーの周りにはみっしりと人だかり。やっぱり中国は人口が多いんだなと思ったその人口密度。一部始終を目撃していた街角の靴磨きのおじさんにだれかが「なにがあったんだい?」と尋ねたのだろう、靴磨きのおじさんが熱を込めて説明する周りにも人だかりができた。でも、後ろの方の人は聞こえない。そこで、自分の前にいる人に「なんて言っているんだ?」と訊く。こうして会話の連鎖が広がっていくのを少し遠くから見ていた。

少し前にロイホでひとりランチをしていたら、隣に座ったおばさまグループが今までに世界中を観光してどこがよかったとか嫌だったかと話していて、中国は「人が多すぎる」という理由で酷評されていた。確かにもう少しまわりを見てほしいなと思うこともあるけれど、上海おもしろかったんだけどな。

2009年11月1日日曜日

魔都上海(3日目)

行きの道はすいていたのに、周圧からの帰り道は渋滞。

暗くなってから上海に戻って、南京西路の小揚生煎館に生煎を食べに行く。生煎とは焼いた小籠包のこと。外がカリッとしていて中からスープがこぼれおちてくる。いつも行列の人気店で、最初にお金を払ってから行列に並ぶのだけれど、お金を払うのに並んでいるとどんどん後ろからお金を差し出す手がのびてきてそっちが先に処理されてしまう。せっかちだ。

なんだかホテルの部屋には帰りたくないので、どこかジャズでも聞けるバーにでも行こうと妹を誘った。

というのも実はその日、明け方に目が覚めると部屋の中を歩き回るたくさんの足音が聞こえた。あれ?と思いながらじっとしていると窓側だった私のベッドの片側でごろりと人の重さでベッドが沈んだ感覚がした。わ!と思って横に寝ている妹に話しかけようと思ったら、身体が動かない。いわゆる金縛り。身体が動くようになって少しうらめしい気持ちでグースカのんきに寝てる妹を見ながら朝を迎えたのだ。

福州路にあるHouse of blues & jazzは香港の俳優がやっているというお店。生演奏のジャズが聞けるというお店の中に入ると金融関係と思しき西洋人男性たちが葉巻を吸い、シャンパンをのんでいる。その横の女性たちはアジア人欧米人含め、え?見えちゃうよという深いスリットのスカートや黒いエナメルのトレンチコートといういかにも夜の商売な格好。魔都上海、世界中から来た夢見る男女がジャズのリズムに身をまかせた夜の都市。その片鱗を観賞しながら食べたシーザーサラダのレタスが新鮮でフォークが進む。ベルギービールで気持ちよくほろ酔い気分で店を後にした。四馬路から南京東路へ歩いて行く道は人気がなく、租界時代の建物が街灯のあかりにひっそりと浮かび上がる。

2009年10月31日土曜日

水郷探訪(3日目)


上海に滞在した6日間は毎日がくもり、もしくは雨。周圧に行った3日目が一番雨が降っていたのだけれど、周圧は水郷の町。

寒いし雨だしあまり人はいなかったけれど、伝統的様式の四合院の家をみた。いつも応接間しか見たことがなくて寒そうだしどうなってるんだろうと思っていたけれど、2階のプライベートな空間に入れたことでずいぶんイメージが広がった。家を訪ねてきたお客さんの男の人をこっそり女の人が上から見るための小さい窓があったりする。

お昼ごはんが油っぽかったのでお茶を飲みながら中国琵琶の生演奏を聴いてゆったりしたあとに路地を歩く。お客さんがいない観光案内所の建物の中で女の子がふたり踊っているのが見えた。菜館(レストラン)の中には麻雀をする人たち。きれいに修理された建物の中にぽつんと朽ちかけた家。好き勝手にのびた草の中、家の前で小さなおばあさんが物乞いの右手を差し出していた。

入口の前にはお土産屋さんが並んでいて雨の中でも客が前を通れば呼び込みをしていたけれど、二胡の値段が知りたくて中国の伝統楽器のお店に行くとそこのおじいさんはまったく応対する気がないらしい。すると、隣のお店のおじさんが「この子たちは楽器がみたいみたいだよ」と(たぶん)言ってくれたのだけれど、楽器屋のおじいさんはそのおじさんに大きな身ぶり手ぶりで話し出した。

どうやら「この前もさー、日本人が来たんだよ、で、楽器を見せろっていうワケ、だから持ってきてそいつに渡したらタラーンって、そりゃあ見事に弾くんだよー。おれは感心したね」といったようなことを話しているらしくて、もうひとりのおじさんが「そりゃすごいけど、ほらこの子たちだって。。」と言ってくれているのにまだまだその話を続けるおじいさん。

それを見て困ったようにおじさんが笑って「ヤッブンヤン?」と話しかけてきた。この中国語の単語知っているよ!と嬉しくなってうなずく。そうです、日本人です。そうかそうか、とまた笑顔。楽器屋のおじいさんが気持ちいいほどに売る気がまったくないようなので「謝々!」と言って店を後にする。「ほら行っちゃったよ」と(たぶん)言われて自分の話で盛り上がっていたおじいさんが「ああ、忘れていた!」という感じで豪快に笑った。

私たちもおもわず笑ってしまったけれど、妹が北京語で日本人は「ジーベンレン」だろうと言う。そういえば、ヤッブンヤンは広東語だ。それでも意味が通じたことに嬉しくなる。

2009年10月15日木曜日

物見遊山(2日目)


伝統的中国式庭園、豫園。このエリアに来るとさっきの外灘の洋風な景色からは一転、中国らしい雰囲気になる。そろそろお腹も空いてきたので、南翔饅頭店で名物、小龍包を食べた。1900年創業のこの老舗の小龍包は「上海大腕」で藤井隆が食べていたのを見て絶対食べようと思っていたのだけれど、すごい行列。

気温はまだまだ寒くて厚手のコートの中で身体を縮めて待つ。お店の横から噴き出している真っ白い蒸気。すぐ後ろに並んでいる中国人の女の人は何度も何度も私の肩から顔をのぞきこませていた。その距離10センチほど。せっかちだなー。中国全土から観光客がやってくる豫園。行列の横をみんなおそろいの黄色や赤の帽子をかぶったおばさんたちのグループが同じプラスチック製のショルダーバッグをかけて賑やかに通り過ぎていく。やっとたどり着いた小龍包は本当においしかった。

そのあとは庭園の中を見学。映画や写真の中の中国の古い家に憧れていたけれど、はじめて本物を見た。ゆったりした空気。辮髪の李連杰が私の心の目には見えたよ。でも、バイクのクラクションやおしゃべりの聞こえてくる路地を庭園の塀から覗くとそこは現代の中国。狭くて汚い食堂や独創的な方法で干してある洗濯物が見える。



家楽福、すなわちカルフールに行こうとあるホテルのインターネットで場所を調べた。利用料金がすごく高くて、しかも印刷するとさらにお金がかかるのに間違えてたくさんページが印刷されてしまってあせっていると、担当のお姉さんが「もったいないから本当に必要なページの分のお金だけでいいよ」と言ってくれた。優しい。

スーパーマーケット家楽福は地下鉄中山公園駅に直結していた。お土産用にとライチ味とキュウリ味、そしてブルーベリー味のポテトチップを買う。独創的。お惣菜のコーナーが充実していておもしろかった。味見させてくれるし。気にいったものを少し買って夕飯にする。

そして、帰りに出会ったのが澳門莉蓮蛋撻餅屋(リリアンケーキショップ)のエッグタルト。アツアツでサクサク。へぇ。やっぱりこうやって表現するんだね。

2009年10月13日火曜日

華洋折衷(2日目)


昨日は青山で友人の結婚式にお呼ばれ。アットホームで素敵でした。近頃見かけなくなった教科書通りのスピーチもおもしろかったのですが、一緒に列席していた友人がほかの女性ゲストを見てもらした「みんな羽衣つけてる」という感想が印象的でした。
お幸せに。

旅行先から汚い部屋に帰ってくるのは嫌なので大がかりな掃除をしているのだけれど、なんとなく自分で遺品を整理しているような気持ちになった。その話をS木さんにすると「あ、向田邦子も旅行前にはかならずきれいにしていたらしいですよ。で、唯一しなかったのが最期の旅行らしいです」と言われた。はは。

さて、上海2日目。

朝8時ごろに目を覚ましたのはがりがりと壁をこする音。廊下の壁の改修工事でした。

朝の光の中で、夜は見えなかったことがいろいろわかりました。部屋を出てエレベーターに向かうと目の前を陳健一みたいな帽子をかぶった料理人が行き来しています。昨日の夜の水槽はそういうことだったみたいです。水槽の向かいにある小部屋は50年くらい前からそのままなんじゃないかと思うようなレトロな事務室。窓から射す朝の光の中で老眼鏡をかけたおじさんがひとりでデスクワークをしていました。

1階に降りれば、そこはデパートの中。昨日の夜の男の人たちは夜警だったのでしょう。次々に謎が解けていきます。南京東路にでると、女の人たちがグループに分かれてバドミントンをやったり剣舞をやったり、踊ったりしています。みんな朝が早い。





そのまままっすぐ外灘のほうに歩いて行くと見えてくるのは河の向こうの東方明珠塔、横にはアールデコ調の和平飯店。上海だ!と実感します。和風と洋風が混ざったものを和洋折衷というけれど、同じように中華風と洋風がミックスされたものを華洋折衷というようです。華洋折衷都市、上海。



黄浦江に沿って威圧的に立ち並ぶ租界時代の洋風建築は現存している建物の大半が1920~1930年代に建てられたもの。でも、2010年の上海万博のためか大がかりな工事中で人もまばらだったのは残念。



次は歩いて豫園に向かいます。

2009年10月12日月曜日

上海到着(1日目)


上海行きのチケットは到着と出発の時間で値段がかわる。行きの日本出発が早かったり、帰りの上海出発が遅いならチケットが高くなる。それだけ滞在時間が長くなるから。

安いチケットだと日本を夜に出発して上海からの帰路は朝や昼ごろ出発になる。私たちの場合はこれ。しかも、出発が遅れたので上海に到着したのは夜11時ごろ。リニアモーターカーはもう運転していないようなので、ホテルにはタクシーで行く。乗り込んで、ふと後ろを振り返ると見えたのは浦東国際空港から龍のように夜に浮かび上がるらせん状の道路。

空港から上海市の中心、南京東路のホテルまでは1時間くらい。オレンジ色に規則正しく並ぶライトの中をとばしていくタクシー。ほかに走っている車もなくて、ぽつんぽつんと見える建物と大きい看板と広い空に、スペーシィ!これが大陸かと思う。

中心に近づくと現れるのが高層ビル。窓の形が日本と違うのか、高いビルに細かく並ぶ正方形の窓の光はキャプテンハーロックのサンゴのような惑星都市みたい。

タクシーの運転手が正確な場所がわからなかったみたいで、違うホテルに着いてしまった。あたりまえだけど、違うよ!と言ってもNO!と言っても通じない。ガイドブックの地図を見せてここ!ここ!とがんばる。すると、ぐるぐるとその周辺をまわってくれたのだけど、やっぱりわからない。ちょっと待ってろ、とたぶん言って南京東路のど真ん中に車を止めた。近くにいた人に訊ねたり、電話で誰かに連絡してくれている。

はじめての中国で言葉もわからないし、もう夜中の12時も過ぎてちょっと心細くなったときに「あ!」と妹が指差したのが後方右上。すぐそこ!「あったよ、ここだった!」、一生懸命だった運転手は日本語で言われて混乱していたけれど、これ以上説明はできないので、「謝々!謝々!謝々!」と言ってお金を払って降りた。

今夜の寝床までもうすぐ。恐る恐る扉をあけて薄暗い建物の中に入ると、暗い中にセーターを着たマネキンが並び、ワイシャツやジャケットが所狭しと並んでいる。すると、奥の暗闇からひとりの男が現れて中国語で話しかけてきた。わ!と思ってよく見るととさらに後ろにもうひとり、長椅子で寝ていた男が半身を起した。どうなっているんだと妹と顔を見合わしたけれど、タバコを挟んだ指で示された横の階段をのぼってホテルの受付にやっと到着。

ずっと眉間に深いしわを寄せて後ろの事務所にいる女の子と大声で話しながらチェックイン作業をするホテルの受付嬢からカードキーを受け取ってエレベーターを降りた。どーんと置かれた食用の魚の水槽を横目に奥に歩いていってやっとたどり着いたわたしたちの部屋。もう夜中1時だったけれど、滞在数時間でこのインパクト。少しの不安と大きな期待を胸に眠った。

2009年10月11日日曜日

ファラオの呪い

エジプトの友人から旅の2、3日前から帰国後2、3日後までビオフェルミンを飲み続けたほうがよい、とメールがきた。エジプトでは外国人がお腹をくだすことを「ファラオの呪い」と呼ぶらしい。メキシコでは「モクテスマの復讐」と呼ばれているけれど、エジプトのは高熱や嘔吐を伴ったりすることもあるみたいでなんだか強烈そう。

いろいろなブログにお邪魔をしてエジプト旅行記を読んでいる。おもしろくて、しかも旅程の参考になる。私も今年の2月から3月にかけて行った5泊6日の上海旅行について忘れちゃう前に書いておこう。



旅仲間は妹。上海に行くと決めて、航空券を購入しようとネットでみた旅行会社に電話をすると対応してくれたのは中国人の女性。馬さん。思えばそこから中国旅行は始まっていた。

その前にHISにも航空券について質問していたのだけれど、電話での対応はあまりいい印象ではなかったし、カウンターでの対応は丁寧だったけれどなぜか利用したいと思わなかった。日程と燃油サーチャージのこともあるのでなるべく手頃な値段でお願いしたいと希望を伝えると「そうだよねー、わかるわかる。」と中国人特有の日本語で言った馬さんにぐっときた。

いくつかの可能性を提示したあと、日系の航空会社のお手頃なチケットが手に入るかもしれないという。「うちは航空会社にけっこう強いから70%大丈夫だと思う」、明日確認して連絡するという。80%でも60%でもない70%という絶妙な数字。ちなみにこの日「ちょっと航空会社から電話がかかってきたので5分後くらいに電話をかけ直す」と言われて電話を一度切られている。
マイペース。

次の日、電話を待っていてもかかってこない。こっちから電話すると「あっ!忘れてた!申し訳ありません」と謝ってくれた。なんだか憎めない。いま確認してからかけ直すと言われて一度電話を切られた。そして、また航空会社から電話がかかってきたのでともう一度電話を切られたけれど、最終的に日系の航空券は無理だったので中国国際航空のチケットに決まった。

この話を聞いた友人は時間と心に余裕があったからいいけれど、これがほかの人だったらすごく怒るかもねと言った。そうかもしれない。このマイペースぶりをチャーミングと思える、これがこの中国旅行のコツだったのかも。

2009年10月8日木曜日

旅立ち

エジプトへの出発まであと10日。

数日前に友人のお母さんから荷物を預かった。もしかするともう少し運ぶ荷物が増えるかもしれないと今日も電話があった。お世話になる立場なので、むしろこういう任務があったほうが気楽。

来週でふたつのうちのひとつの仕事を辞める。あと1週間。

今まで話したことのない運送のおじさんに「辞めるんだって?」っと話しかけられた。「どうして知っているんですか?」と驚いて訊くと、「いやだって、顔に書いてあるからさ。」と言われた。笑ってしまった。顔に辞めますなんて書いてあるはずないのに。おそらく誰かから聞いたのだろうけど。それとも、顔に全部出てるのかな。嘘つけないな。

「辞めてどうすんの?」と訊かれた。とりあえず旅行に行って考えるのはそれからだ、と言うと「じゃあ、他の本屋に話してみるよ」と言ってくれた。また本屋で働きたいかどうかはわからないけど、なんだかちょっと嬉しい。

最後にバタバタしないようにと仕事仲間からもうお餞別ももらった。シャンパンとクッキー。おいしそう。K島さんからは別にしおりとFLIGHT OF THE CONCHORDSのCDをいただいた。



FLIGHT OF THE CONCHORDSはニュージーランド出身の2人組ミュージシャン。アメリカで放送されていたのがニューヨークで成功しようと彼らが頑張るコメディドラマ。ミュージカル風でおもしろいと聞いていたけれど、一度もそんな話をしたことがなかったのにこういうふうにズバッと好みのものを当てられると心がうずく。きゅっとなる。ちょっと溶ける。

あたらしくなにかをしようと思って辞めるのだけれど、もう今までみたいに頻繁に会えなくなるのはやっぱりさみしい。

帰り道は台風一過。風に吹かれた葉っぱがたくさん落ちてる道路はもうほとんど乾いているの蒸し暑くて、目が覚めるような濃い青空を白い雲が速いスピードで流れていった。


FLIGHT OF THE CONCHORDS_MERMAIDS


FLIGHT OF THE CONCHORDS_FRODO, DON'T WEAR THE RING

夢の中


くるり_夢の中(BO GUMBOS cover)

流されて 流されて どこへ行くやら
くりかえす くりかえす いいことも やなことも
淋しいよって 泣いてても 何ももとへはもう もどらない
欲しいものはいつでも 遠い雲の上

はたらいて はたらいて 汗にうもれて
まちがえて まちがえて 手も足も出せなくて
淋しいよって 泣いてても 何ももとへはもう もどらない
欲しいものはいつでも 遠い雲の上

明日もどこか 祭りを探して
この世の向こうへ連れて行っておくれ

夢の中 雲の上 夢の中 雲の上
So Precious, Down In New Orleans

2009年10月4日日曜日

売れる本といい本は違う

年間約8万点の新刊が出版される日本。
その種類はいろいろ。
読む人もいろいろ。

美容院で「読書の魔力」という特集のCREA9月号をパラパラとめくっていたら、特集されている本をほとんど一冊も読んだことがなかった。比較的本は読んでいるはずなのにと驚いた。

その話をすると「あれはベストセラー特集だからね」と書店員K島さんのありがたいお言葉をいただいた。ちなみに、もうひとつの名言は「自分が好きじゃない本を並べると売れる」。

昨日、最近のベストセラー「筆談ホステス」が読んでみたいと言った子に、私の読書の好みをキツイ言葉で否定された。唖然とした。

近頃どうにもその子と話すとモグラ叩きのモグラの気持ちになる。なんか嫌われるようなことしたかなと思って反省したこともあったけれど、今はただただ面倒くさくなってきた。
すごーーーーーーーーーく面倒くさい。

2009年10月2日金曜日

ドラゴンは踊れない

髪の毛を切って染めた。髪の黒いガルマ・ザビになった。

             ↓こんな感じ。


定職につかず、ひとり部屋で年に一度の、しかもたった二日間のカーニヴァルで着るドラゴンの衣装をつくって一年のほかの日を過ごしている。主人公がそんな男となるとちょっと躊躇するけれど、どうしても読んでみたいと思わせるような不思議な引力があった「ドラゴンは踊れない」アール・ラヴレイス著、中村和恵訳(みすず書房)。こういう嗅覚はあまり間違ったことがない。

「ドラムが鳴り、抵抗のダンスが始まる。
 世界の片隅に生きる人々の希望を賭けてバンドマン、
 スラムのごろつき、そして恋する者達が踊る、
 カリブ海文学の傑作。」

破滅的な抵抗の舞台はトリニダード・トバゴの首都ポートオブスペインの丘、カルヴァリー・ヒル。カリブ海の太陽の光と濃厚な夜の闇、むんとする空気に漂うカーニヴァルの音楽はカリプソとスティールパン。踊れなくても大丈夫。この本を開いたらそのまま文章のリズムとスピードに感覚をまかせたらいい。

「貧しさという鍵、それは魔法で守られたメダルだ。その魔力は彼らに神秘的な純血性を与え、彼らを抵抗運動の貴族にした、祖先が奴隷制の下でずっと保ち続け、マルーンとして、逃亡奴隷として、ブッシュ・ニグロとして、反徒として、止むことのない逃亡の中ずっと引き継いできた抵抗の、正当な継承者にしたのだ。

残虐な暴力の場から彼らを引き離してくれる逃亡を実行できないときは、彼らは奴隷制プランテーションのど真ん中で抵抗した、タバコとコーヒーと綿花とサトウキビの中で、自分たちの人間性を主張したのだ、考えうる限り、実行しうる限り最もすばらしい抵抗、サボタージュの行為によって。彼らは怠惰と愚かさと怠慢と無駄をひとつの宗教に仕立てあげた。洪水と台風と地震を讃えてホザンナを歌い、作物に損害と悪疫がもたらされるよう祈った。

奴隷解放後も彼らはそれをやめなかった。解放は彼らをより深い怠惰と無益に導いただけだった、あいかわらず人々を飲み込んではひき潰し、砂糖とココアとコプラを吐き出させ続ける植民地制度、この大製粉工場のひき割り麦となって帝国に益をもたらすのを彼らは拒否したのだ。だから彼らはこの丘にキャンプを張った、敵の眉毛の上に陣どって、変わらぬ熱情をもってもう一度あの教えを磨き、推し進めることにしたのだ、怠惰と怠慢と無為の三位一体を信奉するあの抵抗の宗教を。」

最後の1ページを早く読みたかったけれど、ページをめくるのがもったいない気持ちもある。読むなら4時間ほど集中できるような環境で一息に読むのがお勧めです。



2009年9月28日月曜日

¿Así Que Estás Llorando Por Tu Charro?

また一週間が過ぎた。速い速い。ブログに書いておこうと思うこともいっぱいあるのに時間がない。

たとえば、先週の月曜日にラテンビート映画祭で観たのは「命を燃やして(Arráncame la vida)」。今度はメキシコ映画。



主人公カタリーナが15歳で結婚したのは革命で将軍になった男。年の差は20ほど。革命の成果が「制度化」されていく中で夫は政治家に転身し州知事になる。夫が本当に目指しているのは大統領、そのためには手段を選ばない。結婚した頃には盲目で見えなかった彼の真の姿が大人になったカタリーナには見えるようになってくる。そんな時に出会ったのは才能あふれる若き指揮者。
さあ、どうなる。

メキシコの偉大な作曲家Agustin LaraのArráncame la vidaという曲に着想を得たAngeles Mastrettaの小説が原作。メキシコ映画史上最高の製作費という鳴物入りのこの映画だけれど、必要以上の性描写はやはりメキシコ映画。そして、物語の縦糸と横糸がゆるくて、ちぐはぐに終わったという印象だった。そういえば、『赤い薔薇ソースの伝説(como agua para chocolate)』を観た時にも鑑賞後に残ったのは同じようなちぐはぐ感。
これがメキシコの時代劇なのかな。



上映前に流れていたメキシコ観光プロモーションビデオ。メキシコに行きたくなります。

2009年9月23日水曜日

あたらしいカメラ





コンパクトカメラではものたりない。でも一眼レフはちょっと背伸びしすぎ。というわけで、オリンパスのデジタルカメラ、camedia SP-565UZを買った。なんちゃって一眼。

ボタンの数が増えたから、きっと撮れる写真の幅も広がったはず。でも、いざ撮ってみると期待していたような色がでない。

どうやったらもっと鮮やかな色が出るんだろう。

2009年9月21日月曜日

ESTAR DE RODRIGUEZ

この半年通っていた学校のクラスメートDIEGOさんに教えてもらった慣用句、estar de Rodriguez。「(妻子などが避暑などに出かけて一時的に)単身生活をする」という意味。でも、なんでロドリゲスなんだろうとこの前メキシコの人に訊いたら、メキシコでは聞いたことがない言い回しだという。スペインの表現なのかな。

フラメンコを愛するだけでなくアルゼンチンタンゴのリズムにも身をまかせ、奏でる音色はバンドネオン。さらには津軽三味線を嗜み津軽民謡を唄う、とてもクールな人生の先輩。そんなDIEGOさんが南米に滞在していたときの先生かつ友人であるカンタオーラ、Claudia Montoyaがこの10月に来日します。

クラウディアはアンダルシア移民の娘でフラメンコの一家に育ち、アントニオガデス舞踊団の今の座長でアルゼンチン生まれのアドリアン・ガリアとは幼馴染み。ブエノスアイレスではトップクラスの歌い手で連日市内のタブラオにレギュラー出演している他、大きな劇場等でも時々ショーをやっていて、特にブレリアは素晴しいの一言に尽きる、とDIEGOさん談。

日本だけでなく世界中で人気があるフラメンコ。南米、特にアルゼンチンでも首都ブエノスアイレスで近年タブラオが増え、フラメンコブームが到来しているそうです。アルゼンチンのフラメンコはあまり知られていないけれど、イタリア移民やスペインからの移民が多く、同じスペイン語の国ということもあって、非常にレベルが高いのだとか。スペインの著名なアーティストもアルゼンチンをよく訪れているようです。そんなアルゼンチンで、大活躍しているグループがやってきます。

アリシア&ネストルフラメンコ舞踊団 公演「情熱のフラメンコ!」

10月 2日 金  西新井文化ホール  
10月 3日 土  浦安市民文化会館  
10月 4日 日  調布 くすのき文化会館
10月 6日 火  栃木県総合文化センター  
10月12日 月  三郷市民会館
10月14日 水  御殿場
10月16日 金  ウエスティ(堺市立文化会館)  
10月18日 日  滋賀県守山市民ホール  
10月21日 水  芦屋市民センター
10月27日 火  茅ヶ崎市民会館  
10月28日 水  前橋市民会館  
10月30日 金  カメアリリオホール  
10月31日 土  小平市民会館


Flamenco Nestor Spada & Alicia Fiuri_Romance


Claudia Montoya_Cante Sagrado Fragmentos

私も一度行ってみようと思っています。

2009年9月20日日曜日

シルバーウィーク前半

クーデターが発生したベネズエラで銃声が間近で聞こえるような混乱の中どうやってコロンビアに逃げたのか、という友人の話を聞いてもうひとりの1年ぶりにメキシコから帰ってきた友人が「それと比べるとメキシコのブタインフルエンザなんてたいしたことなかったね」と言った。

コーヒー1杯だけで4時間話した金曜の夜。ほかにもいろいろ話したけれど、テニスのラリーみたいなスピードとゆさぶりのある会話がおもしろかった。

土曜日にラテンビートフィルムフェスティバルで観たのは「サンティアゴの光(LA BUENA VIDA)」。チリの首都サンティアゴを舞台にした群像劇。

「誰もがどうしようもなく不器用で、足りない物が沢山ある上、毎日何かを失っていく。それでも淡々とした日常の中で大事なことに気づく瞬間があるから、きっと生きている」、東京が舞台でも違和感がない話かもしれないけれど、とても印象的だったのが光の色。

世界中どこの都市でもそこにしかない夜の色がある。上映後に監督がQ&Aで「前作のマチュカではカラフルな色にしたけれど、今回の作品ではできるだけ自然な色にした」と言っていた。私は行ったことがないけれど、サンティアゴで暮らしたことのある人はこの映画の光を見てなつかしくて胸が痛くなるんじゃないかな。



今日は10月に結婚する友人の式で受付をやるのでその打ち合わせ。他人事だとおもしろいけど、結婚式の準備というのは大変そうだ。



2009年9月16日水曜日

ハンサムな動物





上海の豫園商城で買った剪紙細工。

最近どうにも馬の「きれい」とか「かわいい」という言葉に納まりきらないハンサムぶりが気になる。

2009年9月15日火曜日

わしゃ、よう知っとった。

ロシアに行くなら読んでごらんと、武田百合子の「犬が星見た」をK島さんが貸してくれた。

ちょっとした瞬間を切りとる視覚的描写が秀逸で、読み進めていくうちに自分の頭の中に今まですっかり忘れていた旅先の出来事や風景の記憶がよみがえってきた。場所は全然違うのに、なんだか一緒に旅行をしている気分。

印象的なのが旅仲間の、錢高老人。口ぐせは「ロッシャはたいしたもんや。わしゃ、よう知っとったんじゃ」、1969年に80代でひとりツアーに参加してロシアに行くなんてたいしたものだ。言動はちょっと我儘なところもあるけれど事情をきけば単なる我儘でもなくて、周囲の人にもそんな老人を思いやる余裕がある。読んでいて思わず笑ってしまう。優しい気持ちになる。だから最後に作者のあとがきを読んでほろり。

「私だけ、いつ、どこで途中下車したのだろう。」

そういえば以前「ことばの食卓」も友人から勧められたことがあった。その時はふーんと受け流したけれど、興味がわいてきた。実際にロシアにいる時間は14時間ほどなのだけれど。



2009年9月12日土曜日

Rapido Porque Mañana Viene Mi Novia



どうしてトロフィーをかじるのですか?
本物かどうかを確かめるためですか?

 普通ほかの人はキスするけれど、
 僕はかじるようになって、それを続けてきました。
 これからももっとかじれたらいいですね。

ダブルスを組みたい選手は誰ですか?

 R.フェデラー。

絶対にダブルスを組みたくない選手は誰ですか?
 
 ソダーリング

右と左の二頭筋を見せてください。

 。。。

フレンチキスを試したことはありますか?

 いいえ。

試合が始まる前になんと叫びますか?

 Va, va!!

あなたのホテルの名前と部屋番号を教えてください。

 HOTEL SCRIBE 2xx,
 急いで、明日彼女が来るから。 

------------------------------------------

なんだかキュート。
しかも最近は髪の毛が短くなって、より精悍な印象。
男の人だってキスしたくなっちゃう。
↓↓↓↓↓↓



USオープン2009 Rafa Nadal vs Monfils

2009年9月11日金曜日

WE ARE GOLDEN

たまたまテレビで流れてた音楽を聴いて楽しい気持ちになった。



We Are Golden_MIKA

Teenage dreams in a teenage circus
Running around like a clown on purpose
Who gives a damn about the family you come from?
No givin up when you’re young and you want some

Running around again
(Running around again)
Running from running

Waking up in the midday sun
What’s to live for?
You could see what I’ve done
Staring at emotion
In the light of day
I was running from the things that you’d say

We are not what you think we are
We are golden, we are golden.
(We are not what you think we are
We are golden, we are golden)

Teenage dreams in a teenage circus
Running around like a clown on purpose
Who gives a damn about the family you come from?
No giving up when you’re young and you want some

Running around again
(Running around again)
Running from running
(repeat)

I was a boy at an open door
Why you staring
Do you still think that you know?
Looking for treasure
In the things that you threw
Like a magpie
I live for glitter, not you

We are not what you think we are
We are golden, we are golden
(We are not what you think we are
We are golden, we are golden)

Teenage dreams in a teenage circus
Running around like a clown on purpose
Who gives a damn about the family you come from?
No giving up when you’re young and you want some

Now I’m sitting alone
I’m finally looking around
Left here on my own
I’m gonna hurt myself
Maybe losing my mind
I’m still wondering why
Had to let the world let it bleed me dry

We are not what you think we are
We are not what you think we are
We are not what you think we are
We are golden, we are golden

Teenage dreams in a teenage circus
Running around like a clown on purpose
Who gives a damn about the family you come from?
No giving up when you’re young and you want some

Running around again
(Running around again)
Running from running
(repeat)

We are not what you think we are
We are golden, we are golden

2009年9月9日水曜日

ハレーハレークリシュナハレー

東京の緑と道は夜に浮かび上がる。昼間みたい。





夜7時に仕事が終わってから餃子のおいしいお店の高田馬場駅前店に行った。水餃子も焼餃子もおいしいけれど、高田馬場のお店は水餃子のスープに野菜がはいってて心持ちヘルシー。油も少なめ。餃子とビールで乾杯!

そして、奥にある謎の分厚い本の正体は。。



なな、なんとバガヴァット・ギーター。インドの聖なる書。



時は少し遡って、仕事後に集合した友人の右手には謎の分厚い本。

チラリと横目で見て、辞書かしら?まさか聖書?と心の中で思っていると友人が語り出した。仕事前に近くの公園でタバコを吸っていると、近寄ってきた若者に「タバコ1本ちょーだい」と言われたのであげたのだという。

しばらくすると、「もう1本ちょーだい」と言ってきた。正直「え、なんで?」と思ったけれど、めんどくさかったのでもう1本あげた。すると、彼は「お礼に」とこの分厚い本、バガヴァット・ギーターを置いて行った。本と一緒に残された言葉は「いらなくなったらだれかにあげて」。



さて、次はだれの手に?

2009年9月8日火曜日

まず本から

エジプトに関する本を読もうと探している。

でも、古代エジプトの本はうんざりするほどあるのに、現代のエジプトの本が少ない。ピラミッドもかっこいいけれど、気になるのは今生きている人たち。

1995年にノーベル文学賞を受賞したナギーブ・マフフーズの作品は行く前に読みたい。

テーマは「半世紀にわたる急速な社会・政治および文化的変化を目撃してきたエジプトのミドルクラスの関心と夢」。「彼が所属する現代カイロという特殊な社会に対する批判の目を提供するだけでなく、現代の人間が抱える問題に対する普遍的な見方を提供する」ことによって「すべての人類に当てはまるアラビア語の文学を作り出した」と評価されている。

そういえば一巻だけ読んだままの古川日出夫「アラビアの夜の種族」もエジプトが舞台だった。時は来た!



2009年9月7日月曜日

ロシア大使館


トランジットビザ取得のために飯倉にあるロシア連邦大使館に行ってきた。

ガチャンと大きい音をたてて閉まる鉄の扉をくぐりぬけ、ふたつある無機質なドアの右側、入口とある方を通る。進んでいくと領事部の玄関がある。玄関の前で携帯電話で話をしていたスーツ姿の男がこっちをチラっと見てタバコの煙をはきだした。

室内に入ると、ちょっと荒んだ雰囲気の簡素な事務的待合室。番号札をとって、椅子に座る。まわりに目をやると、目の前には日本のパスポートを10冊ほど抱えていてひとつひとつに目をやっている若い女の子。入口にはひざ丈パンツにポロシャツという姿で小型のアタッシェケースを持っている40歳前後の男性。地味な中年の女の人とサングラス姿に金髪のモヒカンがのびてしまった髪型のチャラいふたりの若者の三人組。呼び出し番号の電光掲示板の前でそわそわ慌てた様子で行ったり来たりしている(たぶん)アメリカ人男性。私の斜め前で文庫本を読んでいるトートバックを肩から下げた大学生風の男。

なんだか今にも密室殺人劇でも始まりそうな個性的な面子。

自分の番号が呼ばれたので三つある窓口の一つへと急ぐ。右二つが受付で、一番左が支払い窓口。一番右には大学をでたばかりという雰囲気の若いロシア人。バリバリに固められた金髪の七三がロシア連邦の公務員というイメージそのままでちょっとワクワクした。私の対応をした真ん中の窓口の人は日本人のような顔立ちの無愛想な男の人。こちらを下から上へじろりと睨めつけると書類をよこすようジェスチャー。メキシコの両替屋みたいにふたりの間はガラスで仕切られている。書類も直接コンタクトできないように目の前にある引き出しに書類をいれると向こう側でそれを引いて取り出す。

会話もインターホンで。片言の日本語で「名字が変わったことはないですか?」と訊かれ、「(ビザは)シングルでいいですね」と確認。最期に「いつまでに必要ですか?」と訊かれた。2週間後受け取りだと手数料はかからないので2週間後というと左側の支払い窓口に行くように頭で示された。

隣の窓口ではさっきまで妙にあせっていたアメリカ人が支払いをしていたのだけれど、ニコリともしない担当のロシア人女性に愛想良くヘコヘコしていた。その対比がなんだかおかしかった。私もその窓口で英語とロシア語で印刷されたレシートをもらった。

来た道を戻って外に戻った。鉄の扉が後ろでガチャンと閉まるのを聞きながら、なんだか異空間から日常に戻ったような不思議な感覚。私の対応をしてくれた人があの閉ざされた空間で急に苦しみ出して絶命、疑われるのは私を含めて待合室にいた面々。ロシア大使館に拘束されて、取り調べを受ける。そんなストーリーを想像してニヤニヤしながら六本木駅へと向かった。

2009年9月6日日曜日

なつかしい

小さかったときのお気に入り。すっかり忘れていたけど、この前通りすがりにCD屋さんで流れてる映像を見て思いだした。とにかく大好きだったんだよね。



秋風の ヒュー 忘れもの ヒュー
夕焼け ピーヒャララ
こんもり ヒュー 深い ヒュー
山奥に 風にのって とどいた

つのつの一本 赤鬼どん
つのつの二本 青鬼どん
心うかれて心うかれて 踊り出す

月の瞳 ロンロンロンロン
だんだらつの ツンツンツンツン
ああ 夜は今 踊ってるタンゴのリズム

秋風の ヒュー 忘れもの ヒュー
夜空に ドンドコショ
しんしん ヒュー 暗い ヒュー
山奥に 山彦どんどこ とどいた

つのつの一本 赤鬼どん
つのつの二本 青鬼どん
心うかれて心うかれて 踊り出す

月の瞳 ロンロンロンロン
だんだらつの ツンツンツンツン
ああ 夜は今 夢ごこち
タンゴのリズム

赤鬼と青鬼のタンゴ_尾藤イサオ

2009年9月3日木曜日

東京トライブ

とある出版社の研修に参加した。「東京ファッション観光」といったもの。

大人の社会科見学、メインは原宿の21フォーエバー。とても混んでいたけれど、もう何度か行ったことのある場所なので盛り上がりに欠けたし、六本木ヒルズの森ビル52階でのお昼ごはんも森美術館に最近行ったばかり。周りの人たちは珍しい楽しいといっていたけれど、なかなか本心からあいづちを打つことができなくて残念。

それにしても、男の人のおしゃれってキメすぎて過剰になると少し人を威圧する。何人か参加していた雑誌からそのまま抜け出してきたようなスーツ姿の男の人たちはあまり身近にいないタイプ。立体的カットや無造作なゆるふわヘアに個性的メガネ、トラッド風のカラフルジャケットやピタピタにスリムなストレッチパンツ。一見シンプルなようでいてシンプルからはかけ離れているその姿を見て、なんだか都会の部族衣装みたいだなと思った。





エジプトへの航空券はもう手配済み。アエロフロート。帰りの旅程が過酷。夜中にカイロを出発して次の日の早朝にモスクワに到着、それから14時間待って夜にモスクワを発つのだけれど、せっかくだからその待ち時間にモスクワ観光したい!赤の広場とか、クレムリンとか見てみたいし。

ロシアってもう自由化が進んでいるものだと思っていたけど、まだまだ政府のコントロールする部分が大きい。外国人は自由に旅行できないし、旅行しようと思うとすごくお金がかかる。でも、3日間有効のトランジットビザだと比較的気軽に入国できるみたい。しかも、取得期間2週間だと手数料無料。逆に、お金次第で緊急取得も可能ということみたい。

というわけで、手続きをロシア大使館でしなくてはなりません。

2009年8月30日日曜日

カレーとサンバ

すごいすごいお腹がすいてちょっと気が遠くなったら頭の中にカレーが浮かんできて「ああ!」と思って、前から気になっていた御徒町のインドカレー屋に行くことに決めた。

階段をはずみをつけて地下に降りると薄暗い店内には誰も客がいない。ちょっと躊躇。でも、今日の空腹にはそんなこと関係ない。ドアを開くと奥の方から「いらっしゃいませ」とこちらをみつめる強い眼差し。目力にちょっと怯むもチキンカレーを頼んだ。ひたすら食べた。がつがつ食べた。おいしかった。

お腹が空いてる時食べたいものがわかっててしかもそれが食べられるっていうのは幸せ。



昨日は友人が踊るというので浅草サンバカーニバルを見にいって自分のバッドオーガナイザーぶりを再認識。通り過ぎてからその友人が参加するチームだったと気付く始末。チラリとそれらしき姿を見たような気がしたと思ったのだけれど。

サンバってこういう踊りだったかな?と思わないでもないけれど、なかなか凝った衣装など見てるのは楽しかった。特に鼓笛隊みたいな人たちがキュート。ぎらぎらと太陽に照りつけられて汗を流しながら太鼓を叩き歌う姿に自分も参加してみたいかもと思ったくらい。でも、周りのすごい高そうなカメラを持った男の人たちは鼓笛隊たちがやってくるとカメラを下ろす。そして、露出度の高いサンバダンサーの女の人たちが来るとカメラを掲げる。ああいう高性能のカメラの使いみちってそういうことなんだなーと感心した。まぁ、確かに絵になるけれど。





10月にエジプトに行くことになった。もしかすると半日モスクワ観光もできるかもしれない。すごく楽しみ。聞くところによると、モスクワの地下鉄ってすごいみたい。