2009年8月30日日曜日

カレーとサンバ

すごいすごいお腹がすいてちょっと気が遠くなったら頭の中にカレーが浮かんできて「ああ!」と思って、前から気になっていた御徒町のインドカレー屋に行くことに決めた。

階段をはずみをつけて地下に降りると薄暗い店内には誰も客がいない。ちょっと躊躇。でも、今日の空腹にはそんなこと関係ない。ドアを開くと奥の方から「いらっしゃいませ」とこちらをみつめる強い眼差し。目力にちょっと怯むもチキンカレーを頼んだ。ひたすら食べた。がつがつ食べた。おいしかった。

お腹が空いてる時食べたいものがわかっててしかもそれが食べられるっていうのは幸せ。



昨日は友人が踊るというので浅草サンバカーニバルを見にいって自分のバッドオーガナイザーぶりを再認識。通り過ぎてからその友人が参加するチームだったと気付く始末。チラリとそれらしき姿を見たような気がしたと思ったのだけれど。

サンバってこういう踊りだったかな?と思わないでもないけれど、なかなか凝った衣装など見てるのは楽しかった。特に鼓笛隊みたいな人たちがキュート。ぎらぎらと太陽に照りつけられて汗を流しながら太鼓を叩き歌う姿に自分も参加してみたいかもと思ったくらい。でも、周りのすごい高そうなカメラを持った男の人たちは鼓笛隊たちがやってくるとカメラを下ろす。そして、露出度の高いサンバダンサーの女の人たちが来るとカメラを掲げる。ああいう高性能のカメラの使いみちってそういうことなんだなーと感心した。まぁ、確かに絵になるけれど。





10月にエジプトに行くことになった。もしかすると半日モスクワ観光もできるかもしれない。すごく楽しみ。聞くところによると、モスクワの地下鉄ってすごいみたい。

2009年8月28日金曜日

Final Destination

運命とは「偶然の必然を肯定する」こと。



前に買って放っておいた『王家衛的恋愛』という本を読んだ。予想外におもしろくて、「わかってるねー」と過去の自分を誉めたくなる。

香港という都市空間の「終わりなきトランジット状態」という説明に妙に納得。

幼くして父と兄弟を残して上海から香港にやってきた王家衛が「恋する惑星」で描いた90年代の香港と飛行機。旧香港国際空港、啓徳空港のころ香港に住む人たちにとってビルすれすれに離発着する飛行機の姿は日常だった。「未知の『外部』を夢見て故郷を離れる欲望と、逆に故郷を『外部』と見なし狂おしい故郷の念に駆られる」、トランジット空間の香港。

最終目的地はどこ?



最近寝る前に自分の本棚からあふれでてる本を見ながら、全部売ったらどこまで行けるだろうと思う。さすがにブエノスアイレスまで無理かな。



2009年8月24日月曜日

がらくたばかり



「ちょっと片づけられない女」状態だったので、掃除中。でてきたのが去年クリスマスに友達から「はい、エロ目のサンタ」といってもらったおみやげ。



トラのおもちゃ、と思いきや。。。



実はペン。でてくるのはがらくたばかりで、道理で必要なものが行方不明になるはず。

最近、ある本を辞書を片手に読んでいる。メキシコ革命後、数十年にわたってメキシコを実質的に独裁支配していたPRIという政党。その政党が2000年の大統領選で野党のPANの候補、Fox前大統領に負けるまでのメキシコの民主化の流れを様々なエピソードで浮かび上がらせていくEl Despertar De Mexicoという数年前にメキシコで買った本。

ひとつひとつのエピソードがもうドラマチックで先が気になるのに、読むスピードが遅いのと人の名前がいっぱいでてきて頭が処理できないことに苛立つ。

ちょうど今読んでいるのは、1988年大統領選、ラサロ・カルデナスの息子、クアウテモック・カルデナスがPRIを出て野党の大統領候補になって、投票日。与党がやることがすごくて、内務省の地下に事前にある程度選挙結果が予想できるようにコンピューターセンターを秘密で作るのだけれど、毎日そこで働いてる人たちがその部門のカードをぶら下げて外にお昼ご飯を食べにくるので内務省でなにか選挙に関する秘密の作業をしていることが野党にばれてしまう。

結果、選挙当日わかり次第選挙結果に野党もアクセスできるよう与党は約束するのだけれど、実際には早めに開票結果がわかる首都とその周辺都市の結果で与党に有利なものだけにアクセスできるように細工がしてある。でも、野党のPANがハッキングで本当のデータにアクセスして、首都周辺ではクアウテモックが圧倒的に与党に勝利していることを知ってしまう。慌てる与党。とりあえず無理やり画面を消したりする。余計あやしい!と野党の候補が集まって話し合うところで止まっているのだけれど、どうなるんだろうか。

最近メキシコでは麻薬組織の撲滅に力をいれているけれど、一方で少量の麻薬所持を合法化したりもしていてちょっと心配。3年後の大統領選はどうなるんだろう。といいつつ、私も30日の衆議院選、どうしていいかわからないのだけれど。

2009年8月22日土曜日

謎の前衛集団



世の中にはおもしろいことやってる人がいっぱいいる!

2009年8月15日土曜日

謎めく男

もう2度と同じ目では見られない。今日そう思ったのは一緒に働いている20代前半の男の子、とても無口で1年に10回も言葉を交わせばいいほう。ポケモンが好きで毎年夏になると2、3日休みをとってポケモンラリーに参加する。巨人が好きで部屋にはプラレール。そんな小学生みたいな彼が好きなフィギュアがフェロモン熟女の縛り系と聞いて唖然。

前回に引き続き、メキシコ20世紀絵画展について。

ディエゴ・リベラのことをもっと知りたい。それはある疑問の答えが知りたいから。ディエゴが晩年にモスクワ滞在中に描いた素描をもとにメキシコ帰国後完成させた油絵の横に並んでいたアンヘリナ・ベロフの『サンタ・マリア村の並木道』。その説明を読むとディエゴの最初の奥さんの絵だという。

ヨーロッパで出会った二人にはディエゴという名前の男の子が生まれるけれど14か月で死んでしまう、1917年第1次世界大戦のころ。同じ時期に大ディエゴは他のロシア人女性とも関係していて、その人との間にも女の子が生まれるけれど認知しなかったりもしている。そんな状態にも関わらずアンヘリナとディエゴの関係は彼がメキシコに帰ってしまう1921年まで12年も続く。メキシコに帰るときにディエゴが約束した彼女がメキシコに来るためのお金は決して届かなかったし、手紙を受け取ることもなかった。

それでもディエゴを愛し続けたアンヘリナは11年後まとまったお金が用意できるとメキシコに渡る。メキシコにたどり着いて知ったのはディエゴがすでに2度も結婚していること。再会するとディエゴは彼女を知らないふりをし、決して彼女を訪ねることはなかったという。1969年に90歳で息を引き取るまでメキシコに残ったアンヘリナ、彼女がディエゴに書き続けた決して返事の来ない手紙をまとめた本があるらしい(Querido Diego Te Abraza Quiela/Elena Poniatowska)。

なんで知らないふりをしたんだろう。



そもそも何故女たちはディエゴを愛してしまうのか。なぜもてる?そんな話をしていたら友人は「いわゆるメキシコの火野正平だ」と話をまとめた。

2009年8月13日木曜日

遠くにありて想うもの



行ってきました、世田谷美術館で開催中のメキシコ20世紀絵画展。

フリーダの絵を期待していくと1点しかないからガッカリすると聞いていたのだけれど、実は今までちゃんとメキシコの絵画というものを見たことなかったのでいろいろ見られてよかった。特に壁画運動の3大巨匠はさすが。ディエゴ・リベラとシケイロスに関しては今まで政治的な部分、もしくはフリーダの旦那さんとしてしか感知してこなかったけれど、そうそう画家なんでした。

浮気ばかりしてフリーダを苦しめた旦那さんという肩書ばかりが有名になってきている印象のディエゴ・リベラ。彼の絵には今や時代遅れとされる政治思想が描かれていて、そのことが自分の内面を描いたフリーダが時代を問わず普遍的に評価されるのに比べて芸術として評価されにくいと認識していたけれど、自分の目でリベラの絵を見るとその夢の中みたいな色が魅力的だった。説明によるとどうやらとても皮肉な絵らしいのだけれど。



赤い!と思ったのがシケイロス。ダビッド・アルファロ・シケイロス。トロツキー暗殺未遂集団の主犯のこの人と友達になったら大変そうだけれど、絵からはエネルギーと勢いが噴出していた。

暗褐色な色合いとくすんだ赤のホセ・クレメンテ・オロスコの絵は暗い。でも荒涼として殺伐とした感じなのに、惹きつけられて目が離せなくなるような不思議な雰囲気がある。かっこいい。

三者三様の色。全然違うもんです。ほかにサトゥルニノ・エランの『収穫』も気になったけれど、ギエルモ・メサ『信仰心篤い人たちの頭部』のとりわけ不思議なものが描いてあるわけではないのに顔を白い布で覆った人たちの妖しさは強烈だった。

そういえばと私のこれまでの人生の中で一度だけ、なにか悪魔的なもの、目に見えない悪意のようなものの存在を感じたときのことを思い出した。それがメキシコシティのトロツキーの家。だれも人がいない平日の昼間、閑静な住宅街でトロツキーの墓がある庭には鳥がさえずっていたけれど室内に入ろうとすると急に気持ち悪くなって足がすくんで中に入れなかった。思いだしたらまたちょっと背筋がぞくっとした。

シケイロスがトロツキー暗殺に失敗した3ヶ月後、1940年8月20日、トロツキーは秘書の恋人になりすましたラモン・メルカデルによってピッケルで後頭部を打ち砕かれ、翌日収容先の病院で死亡した。




2009年8月10日月曜日

サラームアリコム



今エルサレムにいると、長いこと連絡をとっていなかった友人からメールが届いた。大人の階段を足音もたてずスマートに上っていく彼女に実は憧れている。すっきりしたその文面はとてもきれいな日本語で、来年までエジプトにいる予定なので遊びに来ればいいと言う。エジプトなんてあまり考えたことなかったけれど、おもしろそう。とりあえずガイドブックを買ってみた。

都内に大雨洪水警報の中、今日は日暮里「ざくろ」でペルシア料理ランチ。待ち合わせ前に友人とお互いにメールで探り合い。「中止」という決定的な言葉がどちらからも出ず、どしゃ降りでも決行。会ってから話すとお互いに五分五分の気分だったという優柔不断なふたり。でもすぐに晴れた。最近なんだか空とは相性がいい。

ひとり600円のランチはボリュームたっぷり。ディナーの時間帯の異様なハイテンションで有名な店主アリさんもランチの時間には比較的普通。友人が欲しかった薔薇水は残念ながら売り切れだった。でも、来る前日に電話すれば用意しておいてくれるという。過剰なサービス精神が人に誤解を与えることもあるかもしれないけれど、とても真面目な人だと思う。

2009年8月9日日曜日

¡Ay Güey Güey!





作家:アイ・ウェイウェイ
この写真は「クリエイティブ・コモンズ表示-非営利-改変禁止2.1日本」
ライセンスでライセンスされています。

森美術館で開催中のアイ・ウェイウェイ展は作品の写真を撮ってもいい。今まで許されなかった禁断の遊びは楽しい。こういうのもっと増えるといいな。

こずえさん、誘ってくれてありがとう。

2009年8月6日木曜日

同じ日




でも、カメラが違うと雰囲気がこんなに違う。

2009年8月2日日曜日

光の撮り方

高橋ヨーコの『イースト・サイド・ホテル』を買った。

旧社会主義国を旅して撮った写真の本。でも、特にそれを強調した写真でもない。写ってるのもほとんどがホテルの部屋や廊下、ロビー。どこと特に認識できるわけでもない風景。でも、自分が同じ場所で撮っても絶対にこうはいかないよなぁ、と感服。色なのか、構図なのか。どうしたらこんな風になるんだろうと思いながらまたじっと見る。