2009年2月22日日曜日

東京のささくれ

昨日は働いているお店で2件の万引き。
万引きGメンのステキなおば様の怒鳴り声。
「そのくらい買いなさい!!恥ずかしい」
1人はIT関係の企業をリストラされた45歳でした。

私は東京生まれの東京育ち。愛着があります。
地方出身の人が東京の人格を否定するような発言をするとそれなりに心が痛むのも事実。皆様の言い分も分からないわけではないのですけれども。
東京という街のおもしろさの一つは丸の内OLと表参道女子に代表されるように、場所によってオシャレの雰囲気がガラリと変わること。

渋谷原宿新宿池袋、多々ある繁華街の中でも、銀座は特別。
ほかの場所では私のように「個性」で許されるような格好も銀座に来ればみすぼらしい、みっともない格好ということになります。

丸ノ内仲通り。有楽町から東京駅まで有名店の路面店が並んで光り輝く夕方。銀座有楽町にそぐわない格好で少し悲しくても、明るく輝く直線的な現代建築のビルの谷間から見える皇居の森の暗い影のコントラストが好きなのです。

今日、そこを歩いていると、おじいさんが話しかけてきました。「ちょっとお訊きしますが、御茶ノ水まで歩いて、2、30分で行けますか?」歯がぼろぼろだけど、小奇麗な背広にコート、帽子にちょっと大きい紙袋をさげた姿。
歩ける距離だけど、どうみても70代、ちょっと大変かなと思い、「歩けますけど、ちょっと距離がありますよ」と答えると、財布を掏られてしまったので友人を頼って御茶ノ水まで歩いて行くつもりだという。

さて、これは御茶ノ水までのお金を渡したものかどうか、と思っていると「お家は東京なんですか?」と訊いてくる。「はぁ、まぁ。」と私。
すると「住所を教えていただけたら、後からお送りしますんでお金を貸してもらうわけにはいきませんかねぇ?平塚までなんですけど」と言う。
うーん、と思ったけれど困っている人を見捨てるわけにも、と千円札を財布から一枚。
すると「ここに住所を書いてください」と紙袋からペンと紙を出し、「明るい所で」と言う。お店の強い光の前で住所を書きだすと、目に飛び込んできた競馬の文字。書いていたのは競馬のパンフレット。

5秒の葛藤。断ることもできる。けど、信じて住所を書くこともできる。
はぁ、と心の中で溜息をついて住所を書くのをやめる。「いいですよ」と言って、千円を押し付けた。躊躇せずに「いいんですか?じゃ、有楽町から電車で帰ります」と去っていく姿に背を向けて溜息。

確実にやってくる老いと老いているからといって罪は消えないという事実。
自分を馬鹿だと思ってまで人を許したり、与えたりするのはむずかしい。
疑うより信じる人でありたいという友達の言葉が「理想と現実」の傷薬。

2009年2月13日金曜日

どこかしらんが、そこへ行け、なにかしらんが、それをもってこい!



美しいお妃と結婚した殿さまがいました。
ところが、ゆっくりお妃に見とれるひまもなく、
ゆっくり話しあうひまもないうちに、別れなくてはなりませんでした。
お妃をのこして、とおくへ旅にでかけなくてはならなくなったのです。
しかたがないこと。一生だきあってばかりはいられない、というではありませんか。

どうですか、このさばさばした物語のはじまり。

ルイス・キャロルが少女たちにあてた手紙を集めた『少女への手紙』や
アンデルセンの『絵のない絵本』を読んで、
好きでもない男の人に彼自作の詩をおくられたような(そんな経験ないけど)
もしくは友達の彼氏が友達のためにラブソングを歌ってるのを横で見ているような
波打つロマンチックに辟易とした気持になった私にはこのさっくり感が魅力的。

というわけで、「大人にも読んでもらいたい絵本です」という風潮にのっかってみて
『ロシアの昔話』(福音館文庫)がすばらしくおもしろかったわけです。

えー?ひとつも努力してないんですけど、
と思わずつっこみたくなるようななまけものが成功する話。

おろおろするおおかみ。

うんとこしょ、どっこいしょ。

とくにお気に入りなのはどうやらロシアでは、地面にぶつかると鳥になれるらしいということ。「わし(鷲)は、地面にからだをぶつけて、りっぱな若者になりました」

キュートな動物。魅力的な言い回しにゾクゾク。飛躍する展開にワクワク。
イワンやフョードル・ツガーリンといった耳馴れない登場人物の名前も素敵だけれど、ペチカにババヤガーといった言葉の、意味が正確にはわからないけれど、どうやらそういうものらしいという心地よい置き去り感。
そうそう。子供のときは知らない言葉がでてくると一生懸命その前後の情報を拾って頭の中でその言葉の感覚を組み立てていたのでした。
(だからかな。辞書を使ってスペイン語を読んでしまうとこの組み立てる感覚がないのは)

2009年2月6日金曜日

悲しくてやりきれない

知らない間に知らない曲がミリオンヒットの今日この頃。

フォーククルセダーズの歌が心に沁みて、wikipediaを読んでいたら、、
加藤和彦が父親の高校の同級生だということが発覚。わわわ。

そういえばなぜかいつも薦めるのはカルメン・マキの『戦争は知らない』。
フォーククルセダーズも歌っているのに。

1.野に咲く花の名前は知らない
 だけども野に咲く花が好き
 帽子にいっぱい摘みゆけば
 なぜか涙が 涙が出るの

2.戦争の日を何も知らない
 だけど私に父はいない
 父を想えば あヽ荒野に
 赤い夕陽が夕陽が沈む

3.戦で死んだ悲しい父さん
 私はあなたの娘です
 二十年後の故郷で
 明日お嫁にお嫁に行くの

4.見ていて下さいはるかな父さん
 いわし雲とぶ空の下
 戦知らずに二十才になって
 嫁いで母に母になるの

詞は寺山修二。『悲しくてやりきれない』の詩はサトウハチロー。
必ずしもミュージシャンが作詞をする必要はないんですよね。再確認。

でも、フォークルの北山修の作詞も好きです。
『あの素晴らしい愛をもう一度』に『花嫁』。キラキラ輝く青春。光の力強さ。

フォークル世代(もちろん私の父も)のオピニオンリーダーだった北山修、
親の本棚から出てきた、彼の『戦争を知らない子供たち』(1971年)という本には、
同世代の若者たちの軽いものから深刻な悩みまでラジオで相談にのりつつ、自身も大人に「お前たちはどれだけ私たちが戦争で苦労したか知らないだろう」と言われることに悩む若者の姿。

50メートル先から助け求めて自分に向かって走ってくる人をうっかり避けてしまうような風潮の今、ここ30年の隔たりを感じずにはいられません。
最近、日本でなにか力強くキラキラ輝くものにも出会ってない気がします。