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2011年3月3日木曜日

王の役割

月曜日は自分でも驚くほどの凶悪な気持ちで満ちていて、そういう日に限って我慢して抑えている猟奇的な部分を周囲が刺激する。イラっとするたびに握り潰しフォークで刺された私の心の中の鳥。

荒廃した気持ちを鎮めるために、水曜日に観に行ったのが「英国王のスピーチ」。まだ荒れたままの気持ちは多くの銀座女子が鼻にかかった声で話すことや、カズオ・イシグーロの「わたしを離さないで」に出ている新生スパイダーマンの顔の小ささと首の長さにすらイラついて、映画を楽しめるのか危惧したけれど素晴しい映画でした。

同じくアカデミー賞にノミネートされていた「ソーシャル・ネットワーク」は社会的責任という意識が薄く、"cool"という感覚だけを求めて、その道程で友達を切り捨てることも厭わない、いわゆるYジェネレーションの話だったけれど、それとは対照的に「英国王のスピーチ」が描いているのはメディアが発展し具体的な王の肖像や声がテレビやラジオを通じて伝えられるようになる中で、国民が期待する「王」という役割と責任を引き受けるためにジョージ6世が努力する姿。

吃音症に苦しみながらも立ち向かっていく姿には、か、か、感動を覚えずにはいられないけれど、観賞後に私が考えたのは大正天皇。大正天皇といえば遠眼鏡事件を思い出す人が多いかもしれないけれど、原武史の「大正天皇」や、F・R・ディキンソンの「大正天皇」を読むと如何に彼が近代国家の象徴としての「天皇」という役割を期待された存在だったのかわかるし、彼がそういう枠に収まらない気さくで、気分屋でもあったみたいだけれど、素直な人物だったのかも伝わってくる。

一方で、浅見雅男の「皇太子婚約解消事件」では、伏見宮禎子女王と嘉仁親王(大正天皇)の婚約が禎子女王の健康問題を理由に解消され、器量がちょっと、性格がちょっと、身長がちょっと、とリストから候補者が消されて最終的に九条節子(貞明皇后)に決まった事情と周囲の思惑を明らかにしていくけれど、そこで提示されるのが明治天皇の「天皇」であることへの意識の高さ。

それに比べて、禎子女王との婚約が破棄された後に、誰が次の婚約者になったのかをしきりに尋ねたり、結婚後まもなく日光の御用邸へと出かけた際に皇太子が近所の鍋島別邸にあまりに頻繁に出かけるので、美人と有名な鍋島公爵の次女、伊都子に会いに行っているのではないかと気分を害した節子妃が東京に帰ってしまったりと嘉仁親王のエピソードは人間味があふれている。

ジョージ6世は結果として国民にも敬愛されていたようだけれど、時代の要請に応えられず潰れてしまったのが大正天皇ではないかと個人的に思っている。こういった悲劇的な天皇という視点が出てきたのもここ10年くらいとのことで、今までの大正天皇のイメージを払拭できたらいいと思うけれど、一方で、歴史って史観によってずいぶん認識が変わるものなので事実とは何なのだろうとも思わずにはいられない。

本編とは関係ないけれど「英国王のスピーチ」で印象的だったのは、英国の壁紙の効果的な美しさとジャケットの仕立て。そして、コリン・ファースが戴冠式の練習とその後戴冠式の映像を家族で見ているときに内股座りだったとこ。あと、よくイギリス映画で見かけるあの個性派俳優のチャーチルの演技は成功なの?失敗なの?ちなみに「ソーシャルネットワーク」で気になったのは双子のウィンクルボス兄弟のダブルスタントの方の小芝居とジャスティン・ティンバーブレイクの繊細なんだか未完成なんだかよくわからない曖昧な顔の造形でした。

2010年9月15日水曜日

捨てられない言葉6

しかし、ここで描こうとしている人物に、私は一度も会ったことがない。

オロスコ。

われわれの行路は三度交差した。-ロサンゼルス、ニューヨーク、メキシコシティで-そして三度ともわれわれは長い間望んでいたにも関わらず、握手する機会を逸した。地理的距離がわれわれを遠ざけたとしても、われわれは出会いの場所を持つよう宿命づけられている。極楽のどこかで、われわれは会うだろう。

エイゼンシュタイン
『メキシコ壁画のプロメテウス』

一九三〇年代のメキシコ(メタローグ)より

捨てられない言葉5

相見恨晩 xiang jian hen wan

When we met, it was already time for us to part.
Wish we had met earlier.

星野博美
『ホンコンフラワー』

2010年8月18日水曜日

捨てられない言葉 4

ぼくは「永遠」の意味を探している。どんなことが待ち受けようとも、自分が迷うことなく決心できる何かを。何でそんなものを探しているかって?それはこの地上にぼくが心から欲するようなものがないからだ。たったひとつもね。理由や事実、科学に真実…。どれもぼくにとっては「永遠」とは繋がらない。反対に息が詰まる思いがするだけなんだ。

ケルアック

捨てられない言葉 3

性交のあとで生物はみな悲しくなる

『世界風俗史』河出文庫

2010年8月17日火曜日

捨てられない言葉 2

恐れられさえすれば、憎まれてもいい。

この美しい首も、私が命令すれば即座に落ちるのだよ。

カリグラ
『世界風俗史』河出文庫

捨てられない言葉 1

ゆうべ、目を閉じて、眠って(半分眠りにおちて)ニールの誕生日のことを考えていた。そして僕自身の6ヶ月後の誕生日のことを考えさせられた・・・ニールのように僕も26になる。

最近よく思うんだけれど、年月はどんどん短くなって、飛んでくように速くなってるみたいだ。26になったら30になったも同然だ。僕は胸に意識の強い衝動を感じて起きた。目はかっと見開いた。時間が巨大な鳥のように飛んでいくのが見えた。

僕らは力のこもった絶頂の年齢にさしかかっているんだ。僕は今まで感じたことのないくらいに、自分がふけて、より明晰になったと思う・・・同時に又、世界の大きな夢のなかで取り返しのつかないくらい孤独が深まったわけだけれど。未来のことなんて全然わからない。今はもっと、ドルとか社会とか、外の事物にもっとかかわるべきなんだろう。

何を望むにしても、まだ僕はそうなりたいと思った僕じゃない・・・僕がなりたいと思ったたくさんのもののどれでもない・・・たぶんどれにもならない。目は見開きつづけている。

Last night I had my eyes closed, sleeping (half asleep) and thinking about Neal's birthday, which led me to think of my own in 26 like Neal. It has been occuring to me often that years now seem shorter, more fast to fly. At 26 we are almost 30 actually, and I woke with a powerful knock of awareness at my heart, me eyes flew open. I saw time flying like an enormous bird. We are getting to our age of most power, our peak. I feel older and clearer than I ever did...though at the same time more irretrievably isolated in the huge dream of the world. I don't really see much future, since by now I should be more connected to outside things, like $ and society. Whatever I want, I still am not what I wanted to be...none of the many kind of things I wanted to be...and perhaps will not be. The opening of the eyes goes on.

アレン・ギンズバーグ
『ハートビート』新宿書房

2010年3月6日土曜日

断片的な記憶

今年の冬は1回も風邪をひかないまま過ごせそう、と思っていたら最後に来た。今日の友人とお茶する予定はキャンセル。話したいことあったのに。残念。

月曜日に借りたままだった「ルシアナ・Bの緩慢なる死」ギジェルモ・マルティネス(扶桑社)を返した。ひさしぶりの打ちのめされるようなすごい本。これが、文庫で、いいんですか?文章に浮かび上がる幾何学模様の美しさ。ぞくぞくした。中南米の小説はその地域の歴史や政治と結びついていることが多くてなかなか人に勧めにくいけれど、この本なら勧められるかも。すごく南米的な、マッチョな小説だとも思うけれど。

火曜日、単発の仕事で幕張へ。FOODEX。なんとなく会えるような予感がしていた人に朝さっそく会えて嬉しくなる。仕事の内容はキャンペンガール。まさに見世物。
スペインブースにお邪魔したときの写真。生ハムおいしかった。


夜、メキシコのパーティーもお手伝い。
出演者控室で踊りの練習をする姿をこっそり撮る。
メキシコから来たであろう若い男の歌手がすごくナルシストな感じで目が離せず。「男の人のお尻がステキ」という概念の国の人。

ダンスを披露する二人が首の体操をする姿。
鏡に映るとそれはまるでフリーダ・カーロの絵のよう。

メキシコのシェフが作ったカラフルなスイーツ。

水曜日。なかなか終わらなかった仕事のあとにネパールカリー。レーズンとナッツのカブリナンの美味しさに目覚めたのは先週。2週続けて通っている。

木曜日。仕事帰りにマックでハワイアンバーガーを食べながらポルトガルはリスボンに行ったという友人の話を聞いて、海が好きなのに船に乗れなかったエンリケ航海王子の話を思い出す。

金曜日。疲れ過ぎて記憶がない。

2010年1月9日土曜日

スカーフのおしゃれ

昨日、EL PAISでこんな記事を読んだ。El partido de Sarkozy prepara una ley para prohibir el 'burka' con multas de 750 euros、フランスの与党幹部がブルカ、ニカーブ着用を禁止する法令を準備し、違反した場合750ユーロ(約10万円)の罰金を課すという。ブルカやニカーブなどとは明示せず、「文化行事などを除いて公共の場所や道路で顔を覆うのを禁じる」というもの。エジプトに行って初めてヒジャーブという言葉を知ったけれど、イスラム女性のスカーフの違いはコチラ。



一番左 ヒジャーブ
イスラム女性の典型的なのが顔を隠さないスカーフ。
多くの女性がアイデンティティの象徴として着用する。

左から二番目 ブルカ
全身を隠す。目の部分が布の覗き穴になっていて、そこから見えるけれども外からは見られないようになっている。手まで覆われる。

真ん中 ニカーブ
ひざまで覆うが、目の部分は隠さない。目の部分はほかのベールを組み合わせる。

右から二番目 シェイラ
長方形のスカーフで、ペルシア湾地域で使用される。頭部を覆う。

一番右 チャドル
家の外でイランの女性が使う。身体全体を覆い、頭のスカーフと組み合わせることもできる。

サルコジ大統領は数ヶ月前に公式演説で、ブルカやニカーブのような服装は望ましくないと言ったそうだけど、オランダではすでに2006年公共の場所でのブルカ、ニカーブの禁止が法制化されている。2004年にはフランスで公立学校での誇示的な宗教的標章の着用を禁止する法律がつくられた。でも、フランスの立憲主義という伝統的立場からみると政教分離に基づいた公共教育の場での宗教的中立という説明はそれなりに理解できた。しかし、公共の場での全面的禁止というのは行きすぎな気がするが、ブルカやニカーブのような全身を隠す服装は「女性抑圧の象徴」だとして昨年、国民議会(下院)に調査委員会が設置された。

女性がそこにアイデンティティ価値を見出して自ら進んで着用するものを、他者の価値で判断するのは慎重にするべきだと思う。偏見が多いのも事実で、ドイツでは09年7月、マルワ・シェルビニさんはヒジャーブを着用していたところ隣人のロシア生まれのドイツ人男性に「テロリスト」などと侮辱されたため提訴した。そして、その審理がおこなわれていた法廷でその男に刺殺された。妊娠3か月だったシェルビニさんは18回も刺され、守ろうとした夫が守衛に誤って撃たれて重傷を負った(Murder of Marwa El-Sherbini)。

でも、抑圧されている状態に本人が気づいていない場合、もしくはおかしいと思っていてもなにもできない場合というのもある。そういう場合には積極的に他者が介入していくのも必要だと思うのは先日たまたま読んだ「誰かがわたしを壊す前に」の影響。

主人公のジャジーラは13歳の女の子。自分の恋人がジャジーラに興味があることに気がついた母親はジャジーラをテキサスに住むレバノン人の父親のもとに送る。父親のリファットはとても厳格な人。父親とブラジャーを買いに行くなんて思春期の女の子には地獄だけれど、そういう気持ちがリファットには全然わからないし、結婚前にタンポンを使うのも許さない。親なんだから娘にとっていいことを知っているという。彼氏が黒人だと知ると会うのを許さない。背けば殴る。

原題のTowelheadは頭に布をまいているアラブ人の蔑称。ジャジーラは学校の同級生からそう呼ばれる。そんな中、ジャジーラは隣のミスター・ヴォーソの10歳の息子のベビーシッターをしながらミセス・ヴォーソのタンポンを盗む。プレイボーイを定期購読しているミスター・ヴォーソは13歳のジャジーラには優しくしてくれるように見えるけれど、それは彼女の女らしくなりつつある身体に興味があるから。でも、ジャジーラはそれ以上の意味があると思ってしまう。逃げ場のない思春期の女の子は痛々しい。数年前にアカデミー賞を受賞した「クラッシュ」のように性、人種、宗教様々な価値観が多方面でぶつかりあう。

ちなみにこの本、Nothing Is Private(2007)というタイトルで映画化されている。アメリカンビューティーやシックスフィートアンダーのアラン・ボールが監督。MR.ヴォーソがアーロン・エッカートだ。


さて、ニカーブの着用に関してはエジプト国内でも去年喧々諤々の議論が交わされていた。エジプトは国民の90パーセントがイスラム教徒だけれど、ニカーブの着用に関しては意見が分かれる。大半の女性がヒジャーブを着用しているカイロでもここ数年ニカーブを着用する女性が増えている。

去年9月にイスラム教スンニ派の最高学府として世界各地にイスラム教指導者を多数輩出しているアズハル大学のタンターウィ総長が、「ニカーブはイスラームと全く関係がない」という声明をだした。そして、タンターウィー総長は10月にアズハル付属のすべての教育機関でのニカーブ着用を禁じ、教師が男性の場合にのみ許可するとした。同様に、アズハルのイスラーム教育機関に付属する大学の寮でもニカーブ着用を禁止した。また、ユスリー・ガマル教育大臣も今学期の冒頭、学校内でのニカーブ着用を禁じた1995年の教育省決定を有効にすると発表していた。

しかし、12月にはニカーブを着用することは自由の一つであり、いかなる行政部局であれ、その着用を全面的に禁じることはできないとして、ニカーブ着用女子学生の学生寮への入場を許可せよとの司法判決がでている。それに対しカイロ最大の大学の一つであるアインシャムス大学は、上告すると決定し、同判決の執行停止願いを提出することにした。

参照:エジプトの大学で女子学生のニカーブ着用が司法を巻き込む論議に

エジプトで友人が戒律の厳しいイスラム教国を旅行したときに女性専用ホテルのロビーでニカーブを着た女の人が口の部分の布をさっと外してニッコリ笑ったときに同性だけどすごくドキッとしたと言っていた。たしかにニカーブを着用している女性は謎めいていて艶かしい。でも、不気味だと考える人もいる。見えないほど見たくなる、想像が逞しくなるのだ。

2009年12月10日木曜日

妄想の作法

結局、上司の方がセクハラ氏に私から話を聞いたとは本人に言わずに「見ているとあなたの行動は職場にふさわしくない」と言ってくれることなったのは1週間前。それ以来、被害はなくなった。というか、セクハラ氏はあいさつもしなくなったし目も会わせないようになった。とても気まずい。

オッス!トン子ちゃんの続巻がポプラ社から発売された。マスターの衝撃的な過去に電車の中で笑いを堪えたけれど、トン子ちゃんの作者はバカドリルのメイン絵師。そして、バカドリルがmixiの日記に書いたのが下のアントワネット妄想。わー、ビックリした。私もずっと前から「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」を応用するというのを考えていて、いろんなひとに訊いてみたかったのだけれど、ウザイめんどくさいと思われるのがオチと思っていたら同じようなこと考えている人がいるんだね。今日も「図書館になければアマゾンで買えばいいじゃない」の脳内KY発言にそそのかされてAmazon.co.jpを徘徊しています。

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【妄想入門・その8・アントワネット妄想】

「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」
マリー・アントワネットによるこの有名な発言が、当時のフランス庶民の感情を、大いに逆なでしたことは間違いない。しかし声高に彼女を批判した者の中にも、その裕福さに一種の感動を覚えた者は少なくないだろう。
虐げられた側にも、密かなセレブ願望はある。民衆は革命に蜂起しながらも、彼女に屈折した憧れを抱いていたに違いない。

格差社会と言われる現代。しかし18世紀のフランスに比べると、私たちにはまだ、それを憂うだけの余裕がある。たしかに生活は苦しいが、ときには自らアントワネットになりきることで、ひとときの裕福感を味わうのも悪くない。

「パンがなければお寿司をとればいいじゃない」
そう胸の内でつぶやくで、たとえそれが小僧寿司のいなりセットでも、私たちは自ら広げた選択肢に、心地よい手応えを感じることができるだろう。
「服がなければパジャマでいいじゃない」
近所のコンビニくらい、パジャマ姿でいいじゃない。真のセレブは外見など気にしない。自分に言い聞かせたアントワネット発言が、あなたを着替えの煩わしさから解き放つ。
「靴がなければティッシュの空き箱でいいじゃない」
捨てればゴミの空き箱も、身につけることでファッションになる。アントワネットの思想は早すぎたエコだったのかもしれない。ちなみにティッシュ箱を履くときは、中に5枚程ティッシュを残すとよい。残したティッシュがクッションがわりになり、履き心地が格段にあがる。

果たして物質的に豊かなことだけが、幸福の条件だろうか?
「車がなければおんぶでいいじゃない」「テレビがなければアリの観察でいいじゃない」「携帯がなければ貝殻耳に当てればいいじゃない」「トイレットペーパーがなれけば木べらでいいじゃない」「家がないなら他人のベランダでいいじゃない」
貧しさを嘆くより視点を変え、拓かれた可能性に目を向ける。
当時のフランスで、パンの代わりに菓子を示した彼女の言葉は、たしかに歴史上もっとも有名なKY発言と言えるだろう。しかし彼女が無邪気に提示した「いいじゃない精神」は、物質主義に固執したいまの時代にこそ、再評価されるべきではないだろうか?


これ買おうかな?

2009年10月4日日曜日

売れる本といい本は違う

年間約8万点の新刊が出版される日本。
その種類はいろいろ。
読む人もいろいろ。

美容院で「読書の魔力」という特集のCREA9月号をパラパラとめくっていたら、特集されている本をほとんど一冊も読んだことがなかった。比較的本は読んでいるはずなのにと驚いた。

その話をすると「あれはベストセラー特集だからね」と書店員K島さんのありがたいお言葉をいただいた。ちなみに、もうひとつの名言は「自分が好きじゃない本を並べると売れる」。

昨日、最近のベストセラー「筆談ホステス」が読んでみたいと言った子に、私の読書の好みをキツイ言葉で否定された。唖然とした。

近頃どうにもその子と話すとモグラ叩きのモグラの気持ちになる。なんか嫌われるようなことしたかなと思って反省したこともあったけれど、今はただただ面倒くさくなってきた。
すごーーーーーーーーーく面倒くさい。

2009年10月2日金曜日

ドラゴンは踊れない

髪の毛を切って染めた。髪の黒いガルマ・ザビになった。

             ↓こんな感じ。


定職につかず、ひとり部屋で年に一度の、しかもたった二日間のカーニヴァルで着るドラゴンの衣装をつくって一年のほかの日を過ごしている。主人公がそんな男となるとちょっと躊躇するけれど、どうしても読んでみたいと思わせるような不思議な引力があった「ドラゴンは踊れない」アール・ラヴレイス著、中村和恵訳(みすず書房)。こういう嗅覚はあまり間違ったことがない。

「ドラムが鳴り、抵抗のダンスが始まる。
 世界の片隅に生きる人々の希望を賭けてバンドマン、
 スラムのごろつき、そして恋する者達が踊る、
 カリブ海文学の傑作。」

破滅的な抵抗の舞台はトリニダード・トバゴの首都ポートオブスペインの丘、カルヴァリー・ヒル。カリブ海の太陽の光と濃厚な夜の闇、むんとする空気に漂うカーニヴァルの音楽はカリプソとスティールパン。踊れなくても大丈夫。この本を開いたらそのまま文章のリズムとスピードに感覚をまかせたらいい。

「貧しさという鍵、それは魔法で守られたメダルだ。その魔力は彼らに神秘的な純血性を与え、彼らを抵抗運動の貴族にした、祖先が奴隷制の下でずっと保ち続け、マルーンとして、逃亡奴隷として、ブッシュ・ニグロとして、反徒として、止むことのない逃亡の中ずっと引き継いできた抵抗の、正当な継承者にしたのだ。

残虐な暴力の場から彼らを引き離してくれる逃亡を実行できないときは、彼らは奴隷制プランテーションのど真ん中で抵抗した、タバコとコーヒーと綿花とサトウキビの中で、自分たちの人間性を主張したのだ、考えうる限り、実行しうる限り最もすばらしい抵抗、サボタージュの行為によって。彼らは怠惰と愚かさと怠慢と無駄をひとつの宗教に仕立てあげた。洪水と台風と地震を讃えてホザンナを歌い、作物に損害と悪疫がもたらされるよう祈った。

奴隷解放後も彼らはそれをやめなかった。解放は彼らをより深い怠惰と無益に導いただけだった、あいかわらず人々を飲み込んではひき潰し、砂糖とココアとコプラを吐き出させ続ける植民地制度、この大製粉工場のひき割り麦となって帝国に益をもたらすのを彼らは拒否したのだ。だから彼らはこの丘にキャンプを張った、敵の眉毛の上に陣どって、変わらぬ熱情をもってもう一度あの教えを磨き、推し進めることにしたのだ、怠惰と怠慢と無為の三位一体を信奉するあの抵抗の宗教を。」

最後の1ページを早く読みたかったけれど、ページをめくるのがもったいない気持ちもある。読むなら4時間ほど集中できるような環境で一息に読むのがお勧めです。



2009年9月15日火曜日

わしゃ、よう知っとった。

ロシアに行くなら読んでごらんと、武田百合子の「犬が星見た」をK島さんが貸してくれた。

ちょっとした瞬間を切りとる視覚的描写が秀逸で、読み進めていくうちに自分の頭の中に今まですっかり忘れていた旅先の出来事や風景の記憶がよみがえってきた。場所は全然違うのに、なんだか一緒に旅行をしている気分。

印象的なのが旅仲間の、錢高老人。口ぐせは「ロッシャはたいしたもんや。わしゃ、よう知っとったんじゃ」、1969年に80代でひとりツアーに参加してロシアに行くなんてたいしたものだ。言動はちょっと我儘なところもあるけれど事情をきけば単なる我儘でもなくて、周囲の人にもそんな老人を思いやる余裕がある。読んでいて思わず笑ってしまう。優しい気持ちになる。だから最後に作者のあとがきを読んでほろり。

「私だけ、いつ、どこで途中下車したのだろう。」

そういえば以前「ことばの食卓」も友人から勧められたことがあった。その時はふーんと受け流したけれど、興味がわいてきた。実際にロシアにいる時間は14時間ほどなのだけれど。



2009年4月13日月曜日

オッス!トン子ちゃん



近頃、ワクワクするような漫画がないと嘆いていたアタスの心にストライク。
『オッス!トン子ちゃん』(扶桑社文庫)最高ダス。

70年代の少女マンガのパロディに和田慎二の絵みたいに線から『男』がにじみでるときがあるのだけれど、ちょっとした瞬間に女子が心の中で吐いている毒をこんなに違和感なく表現しているのが男の人なんてね。

2009年3月20日金曜日

美と性別



『花の生涯 梅蘭芳』の後半はレオン・ライになるとやはりレオン・ライという展開。そこが魅力なのだろうけど、いまひとつ烈しさが足りないといつも思う人。

青年時代の梅蘭芳(余少群)の匂いたつような色気に興奮したのは前半。
現代悲劇『一縷の麻』を演じる姿には私も生唾をごくり。

「芸術が自然を模倣するのではない。自然が芸術を模倣するのだ。」とオスカー・ワイルドは言ったけれど、1907年から1908年にかけて軍と皇帝政府内のホモセクシュアル・スキャンダルに揺れていたドイツ。

1908年に外交問題でげっそりしたヴィルヘルム2世がお気に入りの男たちのグループで、シュヴァルツヴァルト(黒い森)の狩猟で気晴らしをしようとした。ところがその夜のパーティでとんでもないことが起こる。

軍事秘書官長ディートリヒ・フォン・ヒュルゼン=ヘーゼラー伯爵はその夜の宴会の余興で、テュテュを着て、バレリーナに扮し、パ・スールを踊ったのであるが、心臓麻痺を起こして急死。ショックで皇帝も失神してしまう。

『ホモセクシュアルの世界史』(文春文庫、海野弘)のこのくだりを読んで電車の中で思わず笑ってしまったと話すと、「妄想ならなんでも自由だと、なんでもできると思っていたけれど、敵わないね。絶対に思いつかないもの」と友人は言った。



もうちょっとこの世界に浸ってみようと竹宮惠子の『風と木の詩』を再読するために注文した。なぜか近所の図書館には『風と木の詩』『日出処の天子』『残酷な神が支配する』が揃っていたのだけれど、どういう基準だったんだろう。マンガだと思って手にとった小学生の期待を良くも悪くも裏切ることは間違いないのだけれど。

2009年2月13日金曜日

どこかしらんが、そこへ行け、なにかしらんが、それをもってこい!



美しいお妃と結婚した殿さまがいました。
ところが、ゆっくりお妃に見とれるひまもなく、
ゆっくり話しあうひまもないうちに、別れなくてはなりませんでした。
お妃をのこして、とおくへ旅にでかけなくてはならなくなったのです。
しかたがないこと。一生だきあってばかりはいられない、というではありませんか。

どうですか、このさばさばした物語のはじまり。

ルイス・キャロルが少女たちにあてた手紙を集めた『少女への手紙』や
アンデルセンの『絵のない絵本』を読んで、
好きでもない男の人に彼自作の詩をおくられたような(そんな経験ないけど)
もしくは友達の彼氏が友達のためにラブソングを歌ってるのを横で見ているような
波打つロマンチックに辟易とした気持になった私にはこのさっくり感が魅力的。

というわけで、「大人にも読んでもらいたい絵本です」という風潮にのっかってみて
『ロシアの昔話』(福音館文庫)がすばらしくおもしろかったわけです。

えー?ひとつも努力してないんですけど、
と思わずつっこみたくなるようななまけものが成功する話。

おろおろするおおかみ。

うんとこしょ、どっこいしょ。

とくにお気に入りなのはどうやらロシアでは、地面にぶつかると鳥になれるらしいということ。「わし(鷲)は、地面にからだをぶつけて、りっぱな若者になりました」

キュートな動物。魅力的な言い回しにゾクゾク。飛躍する展開にワクワク。
イワンやフョードル・ツガーリンといった耳馴れない登場人物の名前も素敵だけれど、ペチカにババヤガーといった言葉の、意味が正確にはわからないけれど、どうやらそういうものらしいという心地よい置き去り感。
そうそう。子供のときは知らない言葉がでてくると一生懸命その前後の情報を拾って頭の中でその言葉の感覚を組み立てていたのでした。
(だからかな。辞書を使ってスペイン語を読んでしまうとこの組み立てる感覚がないのは)

2008年7月5日土曜日

サンパウロとベルリンと東京。

今日はサンパウロに行ってきた。

といっても、本当のサンパウロは地球の裏側。




私が行ったのは東京の浅草のサンパウロ。


バナナジュースを飲みながら、ケストナーの『エーミールと三人のふたご』を読んでいたのだけれど、

(浅草のサンパウロでベルリンの話を読むってなんだかごちゃごちゃしてていいと思う)。

こんな記述があってうれしくなってしまう。

「ぼくは、市電の一七七番に乗って、シュテーグリッツに行くところだった。
べつに、シュテーグリッツに用事があったわけではない。
ぼくは、自分が知らない、知り合いもいない町を散歩することが好きなのだ。
そうすると、なんだか外国に来たような気がする。
そして、しんそこひとりぼっちでさみしくなると、急いで家に帰って、リヴィングでとっくりとコーヒーを楽しむ。」




そうそう。これが、おひとりさまの醍醐味。