2010年11月14日日曜日

mcf

malditos cerdos fascistas!



Niña_Sistema Perfecto

2010年9月15日水曜日

捨てられない言葉6

しかし、ここで描こうとしている人物に、私は一度も会ったことがない。

オロスコ。

われわれの行路は三度交差した。-ロサンゼルス、ニューヨーク、メキシコシティで-そして三度ともわれわれは長い間望んでいたにも関わらず、握手する機会を逸した。地理的距離がわれわれを遠ざけたとしても、われわれは出会いの場所を持つよう宿命づけられている。極楽のどこかで、われわれは会うだろう。

エイゼンシュタイン
『メキシコ壁画のプロメテウス』

一九三〇年代のメキシコ(メタローグ)より

捨てられない言葉5

相見恨晩 xiang jian hen wan

When we met, it was already time for us to part.
Wish we had met earlier.

星野博美
『ホンコンフラワー』

2010年8月18日水曜日

捨てられない言葉 4

ぼくは「永遠」の意味を探している。どんなことが待ち受けようとも、自分が迷うことなく決心できる何かを。何でそんなものを探しているかって?それはこの地上にぼくが心から欲するようなものがないからだ。たったひとつもね。理由や事実、科学に真実…。どれもぼくにとっては「永遠」とは繋がらない。反対に息が詰まる思いがするだけなんだ。

ケルアック

捨てられない言葉 3

性交のあとで生物はみな悲しくなる

『世界風俗史』河出文庫

2010年8月17日火曜日

捨てられない言葉 2

恐れられさえすれば、憎まれてもいい。

この美しい首も、私が命令すれば即座に落ちるのだよ。

カリグラ
『世界風俗史』河出文庫

捨てられない言葉 1

ゆうべ、目を閉じて、眠って(半分眠りにおちて)ニールの誕生日のことを考えていた。そして僕自身の6ヶ月後の誕生日のことを考えさせられた・・・ニールのように僕も26になる。

最近よく思うんだけれど、年月はどんどん短くなって、飛んでくように速くなってるみたいだ。26になったら30になったも同然だ。僕は胸に意識の強い衝動を感じて起きた。目はかっと見開いた。時間が巨大な鳥のように飛んでいくのが見えた。

僕らは力のこもった絶頂の年齢にさしかかっているんだ。僕は今まで感じたことのないくらいに、自分がふけて、より明晰になったと思う・・・同時に又、世界の大きな夢のなかで取り返しのつかないくらい孤独が深まったわけだけれど。未来のことなんて全然わからない。今はもっと、ドルとか社会とか、外の事物にもっとかかわるべきなんだろう。

何を望むにしても、まだ僕はそうなりたいと思った僕じゃない・・・僕がなりたいと思ったたくさんのもののどれでもない・・・たぶんどれにもならない。目は見開きつづけている。

Last night I had my eyes closed, sleeping (half asleep) and thinking about Neal's birthday, which led me to think of my own in 26 like Neal. It has been occuring to me often that years now seem shorter, more fast to fly. At 26 we are almost 30 actually, and I woke with a powerful knock of awareness at my heart, me eyes flew open. I saw time flying like an enormous bird. We are getting to our age of most power, our peak. I feel older and clearer than I ever did...though at the same time more irretrievably isolated in the huge dream of the world. I don't really see much future, since by now I should be more connected to outside things, like $ and society. Whatever I want, I still am not what I wanted to be...none of the many kind of things I wanted to be...and perhaps will not be. The opening of the eyes goes on.

アレン・ギンズバーグ
『ハートビート』新宿書房

2010年7月1日木曜日

2010年6月8日火曜日

In The Mood For A Cigarette


HOMBRES G_TE QUIERO

No, no no me llores,
no me vayas hacer llorar a mi...
Dame, dame tu mano, inténtalo mi niña...
Quiero verte reir...
Abrázame fuerte, ven corriendo a mi...
Te quiero, te quiero, te quiero
y no hago otra cosa que pensar en ti...
Tu estas dormida, y yo te abrazo
y siento que respiras...
Sueño con tu sonrisa, te beso muy despacio
en las mejillas...
Necesito verte,
dondequiera que estés...
Te quiero, te quiero, te quiero
y no hago otra cosa que pensar en ti...
Solo vivo y respiro para ti...
Te quiero... Te quiero... Te quiero.

Abrázame fuerte, ven corriendo a mi
déjame que te diga otra vez que te quiero...
Te quiero, te quiero... Te quiero

でも、ときどき気がつくと頭の中で流れていたのはこっち↓。

VOLOVAN_TE QUIERO

世界と調和しない日々。しっくりこない。

「あの人」に会いたいな会わなくちゃ、と思っても
それがだれなのかよくわからない。

2010年5月31日月曜日

また月曜日が来た!

3人で赤ワインを2本と焼酎を1本空けて始まった先週の月曜日。渋谷ののん兵衛横丁で自分の父親ほどの歳の人が「この世界に神様はいない。あるのはエネルギーだけ。でも、考えがそこにたどり着いた時にはとてもさみしかったよ」と言った。

次の日の火曜日は朝の6時半に起きて仕事。

水曜日も朝は6時半、夜にはアルゼンチンからオシャレな靴やら小物などを輸入している方とごはん。自分が気にいった素敵なものを世界中から買いつける。自分だったら?と考える。たとえば去年行ったエジプト。南部ヌビア地方の銀のピアスと把手。

木曜日も6時半起き。ペルシアの詩と太宰治。
人間失格に引用されているルバイヤート。

「無駄なお祈りなんか止せったら
涙を誘うものなんか かなぐりすてろ
まァ一杯いこう 好いことばかり思出して
よけいな心づかいなんか忘れっちまいな」

「みんな聖経よみ違えてんのよ
でなきゃ常識も智恵もないのよ
生身の喜びを禁じたり 酒を止めたり
いいわ ムスタッファ わたしそんなの 大嫌い」

「どうにもできない情慾の種子を植えつけられた許りに
善だ悪だ罪だ罰だと呪わるるばかり
どうにもできない只まごつくばかり
抑え摧く力も意志も授けられぬ許りに」

午後は庭園美術館のロシア構成主義展。
写真とグラフィックデザインがすばらしい。
妙に印象に残ったのはマヤコフスキーのほとばしる商業文。

「招いていようとなかろうと
頼んでいようとなかろうと
お客はあなたの家へ
かならずやってきます

早くごちそうしなくっちゃ
でも家にはなにもない
パンはひからび
バターはネコが舐めちゃった

どうしよう……
状況は絶望的だ
さあ急げ
「お茶受けクッキー」を買いに行け

モスセリプロムの赤い十月社のクッキーは
コッペパンよりおいしくてお得
売店はどのアパートからもほんの二歩
どんな横丁にだってお店がありますよ」

金曜日は満月、大失態。帰りに本屋に寄って友人にジュンパ・ラヒリの「停電の夜に」を勧めたら、お礼にと高野文子の「るきさん」をいただいた。

土曜日はおしゃべりばかり。友人が使った「バイアスがかかっている」という表現がある人にぴったりで、でも自分からは出てこない表現で気にいった。当分やたらと使うかもしれない。

恋人よこれが私の一週間の仕事です ♪テュリャ

今週の買物。アルゼンチンのネックレス(裏はバラの形になっている)と構成主義展のプログラム。このネックレスも宗教モチーフだけれど、どうにもロザリオを「オシャレ」として身につけることに抵抗がある、ような気がする。

2010年5月2日日曜日

鳥の歌

「私の祖国カタルーニャの民謡、鳥の歌を演奏します。鳥たちは、ピース、ピース、ピースと鳴くのです。」

El Cant dels Ocells, Song of the Birds_The speech and performance by Pau Casals in October 24 (United Nations Day), 1971

2010年4月11日日曜日

王城にて


数か月に一度の割合で喫茶店に集う会。今回は上野の「王城」でございます。ランプの下のところが魚だったり、珈琲を頼むとクリームや砂糖がはいった銀食器の中に惚れ薬がまざっていたり椅子がゴブラン織りだったりする素敵な空間なのだけれど開放的で入りやすい雰囲気。隣の席ではおじさまが膝にのせた新聞を読みながら、手にナイフとフォークを持ち200円のホットケーキを食べています。

木賃宿や赤線などの言葉をいちいち意味を説明することなく使え、また何気ない日々の現象を言葉で切りとる人たちなのでとりあえず思いついたことをひたすら話して情報交換。最近読んでいる本、写真をプリントする楽しみや女性誌表紙の目線についてなどなど。

そんな話題のひとつが小学5年生にして「ナポレオン・ダイナマイト(バス男)」にハマっている男の子。文化系男子の希望の星。その子と2人で手話のシーン(↓)を再現するという友人。10歳前後の友人の息子と年の差など関係なく接することができるというのは理想的。


Napoleon Dynamite_Happy Hands Club

5月に1歳になる甥も週末の旅行でいろいろな人と出会った結果、「照れる」という感情を覚えて帰ってきたらしい。やはり人間は社会的動物なのだ。

2010年4月4日日曜日

切手と国産ロック



アルゼンチンの切手をもらった。なにかを蒐集するのは苦手だけれど、見れば見るほど実は切手ってすごく素敵。

最初はふーんと思っていた「切手帖とピンセット」(国書刊行会)も、今や近いうちに買うだろうと確信している本。執筆陣も豪華。1960年代、切手が一番輝いていた時代に同じクラスの子がこんな素敵なコレクションを持っていたら。。たぶんとてもうらやましくて盗んで自分のものにすることだって1分くらい考えてしまうかもしれない。

アルゼンチンの国産ロック音楽のみをかけるFM、MEGA98.3。日本ではまず耳にすることのない類の音楽がインターネットで聞けるのが嬉しい。個人的にはアルゼンチンはタンゴというよりなぜかロックのイメージがある。

2010年3月31日水曜日

二十一世紀


THE PEARLS_JELLY ROLL MORTON

今読んでいる本に出てきた音楽が気になったので、インターネットで調べるとすぐにどんなものか聞けた。今は21世紀だ。

そういえば、盆踊りの二十一世紀音頭が好きだった。「これからもうあと何年たてばこの世は二十一世紀、、、シャララララ、二十一世紀の夜明けは近い」。もう2010年だけれど、今でも踊っているのかな。

2010年3月29日月曜日

テンペスト

今年のアカデミー賞作品賞でオスカーを獲得した「ハート・ロッカー」。イラクに派遣され、生死の瀬戸際で任務を遂行する米軍爆発物処理部隊の兵士たちを描いた作品ということすらよく知らずに、「最初はジャガイモにしか見えない主人公がある瞬間からとてもかっこよく見える」という話を聞いて思わず観てしまったのは土曜日。逆に、いつジャガイモじゃなくなるのかが気になって話の筋にあまり集中できなかったけれど、女性監督ならではの隠れ女子的視点としてはガイ・ピアースやレイフ・ファインズといった顔もよく名も通った俳優たちの登場から数分で起こる無惨さもポイントではないかと思いました。

昨日はひさしぶりに会った人とごはんを食べていて、シンクロナイズドスイミングの可否を話しているうちに話が飛躍していつのまにか険悪な雰囲気の議論に。「あなたは100%正しいけれど、間違っている」と言われて気まずいまま別れ、終電近くの電車に乗って帰ってきた。混乱した気持ちは、話をきいてもらって少し落ち着いたけれど、今日も気分は低空飛行。でもまったく重要ではない意味のない話が議論になったことがバカバカしいと思う気持ちもかなりある。

2010年3月24日水曜日

怪物



Es un monstruo, no es cierto?

Pero hasta el monstruo más feo tiene su encanto.

RUDO Y CURSI

2010年3月6日土曜日

断片的な記憶

今年の冬は1回も風邪をひかないまま過ごせそう、と思っていたら最後に来た。今日の友人とお茶する予定はキャンセル。話したいことあったのに。残念。

月曜日に借りたままだった「ルシアナ・Bの緩慢なる死」ギジェルモ・マルティネス(扶桑社)を返した。ひさしぶりの打ちのめされるようなすごい本。これが、文庫で、いいんですか?文章に浮かび上がる幾何学模様の美しさ。ぞくぞくした。中南米の小説はその地域の歴史や政治と結びついていることが多くてなかなか人に勧めにくいけれど、この本なら勧められるかも。すごく南米的な、マッチョな小説だとも思うけれど。

火曜日、単発の仕事で幕張へ。FOODEX。なんとなく会えるような予感がしていた人に朝さっそく会えて嬉しくなる。仕事の内容はキャンペンガール。まさに見世物。
スペインブースにお邪魔したときの写真。生ハムおいしかった。


夜、メキシコのパーティーもお手伝い。
出演者控室で踊りの練習をする姿をこっそり撮る。
メキシコから来たであろう若い男の歌手がすごくナルシストな感じで目が離せず。「男の人のお尻がステキ」という概念の国の人。

ダンスを披露する二人が首の体操をする姿。
鏡に映るとそれはまるでフリーダ・カーロの絵のよう。

メキシコのシェフが作ったカラフルなスイーツ。

水曜日。なかなか終わらなかった仕事のあとにネパールカリー。レーズンとナッツのカブリナンの美味しさに目覚めたのは先週。2週続けて通っている。

木曜日。仕事帰りにマックでハワイアンバーガーを食べながらポルトガルはリスボンに行ったという友人の話を聞いて、海が好きなのに船に乗れなかったエンリケ航海王子の話を思い出す。

金曜日。疲れ過ぎて記憶がない。

2010年2月27日土曜日

5月広場のおばあちゃん

日本有数の進学校の生徒たちも利用する最寄駅。朝ちょうど仕事に行く時間帯は通学途中のその男子校生を大量に見かけるけれど、黒い学ランを身にまとった彼らは没個性的で全然見分けがつかない。そんな集団の中に、学ランの上に真っ黒でクラシカルなトレンチコートを着た男の子がひとり。こういうダンディズムは好き。

気になった記事をひとつ。

反対運動に対して厳しい弾圧をおこなっていたアルゼンチンの軍事独裁政権(1976-1983)。社会主義や共産主義といった危険な思想から守るためとして、反体制派の人間や妊娠している活動家の女性たちを逮捕、抑留し、秘密裏に出産させその子供たちを当時の体制に協力していた人間の家族に養子として迎え入れるというシステムが存在し500人もの赤ん坊が行方不明となっている。またその父親や母親も行方不明のままであり、その数は何千人にもおよぶ。

行方不明になっている若者の母親が大統領府の前に位置するPlaza de Mayoに毎週木曜日に白いスカーフを巻いて集まり政府に息子や娘を返してくれるように抗議するようになったのは1977年の4月30日。Madres de Plaza de Mayoと呼ばれるようになった。
そこから発展して、行方不明の孫たちの身元を探すために活動しているのがAbuelas de Plaza de Mayo。101人目の「行方不明の孫」の身元が確認されたというのが2月24日のEL PAISの記事、El reencuentro 101 de las Abuelas de Plaza de Mayo

一方で、インターネットでおばあさんたちの活動に関連する動画など見ていると、「そうは言っても、行方不明になった人たちは”テロリスト”。関係ない人たちの命を奪っていたのだから治安を守るためには仕方のないこと」など少なくないコメントが軍事政権を擁護しているアルゼンチンの不安定さ。

でもやはり暴力はいけないよ。

2010年2月25日木曜日

振り返ればやつがいる

もう春だから、暖かかったから、地面から3センチ体が浮いてるような1日。思いがけないところで友人に出会うも気づかず、後ろから引っ張られて驚くこと2度。通常は出さない高音で奇声をあげ、周りから白い目で見られる。これだから春は嫌い。

2010年2月23日火曜日

週末の成果

ずっと欲しくて探していた長靴。コレ!というのに出会った。お店の人の話ではスロヴァキア製だという。あまり馴染みのない国でつくられたものがいろいろなところを旅してきて私と出会ったことにときめいたけれど、調べたらフィンランドの会社。Nokian Footwear
考えると、近頃はZARAなどのタグも見ればモロッコやエジプト、ポルトガルなど製造国はエキゾチック。日本では世界中のいろいろなものが手に入る。なにはともあれ、雨の日が楽しみ。

散歩の途中で購入したふくろうサブレ。真ん中に焦点をギュッとあわせる写真が撮りたくて練習したけれど、うまくいかず。何度もシャッターを押すと、ふくろうは意味をなさない線と面になった。

ひさしぶりに天気がいいのでラジオを聞きながら掃除して友人にもらったおみやげを再発見する。ベトナムと奈良。

2010年2月13日土曜日

2010年2月9日火曜日

HER ABCENSE FILLED THE WORLD

先週の日曜日に新宿で観たのは「中川家の立ち話」。テレビそのままの中川家がでてきた劇場は思いのほか小さくて、不思議な雰囲気だった。生、ライブ、臨場感。音楽のコンサートともまた違う。

途中からでてきたゲスト、ハリガネロックの節約話はおもしろいというよりも感心する話。ただ、2、30円を節約するためにわざわざ近くの金券ショップでクーポンのようなものを買ってからマクドナルドに行くかというと、大きな疑問。凝り性なのだろうと思いつつ、常に男性の凝り性ほどめんどくさいものはないと切って捨てる友人を思い出した。その友人はとくにこだわりだらけで説明の多い「男の料理」を嫌う。

木曜日。去年の5月に産まれてハイハイを覚えたばかりの甥にひさしぶりに会いに行こうか考えた。妊娠して産んだはいいけれど育てられないので姉夫婦に育ててもらっている実の子に会いに来たような気持ちで、だれも見ていない時にこっそり甥を抱いてみようかと思ったけれど、考えを変えて東京国立近代美術館に行くことにした。この前こずえさんが東京に来たときによかったと言っていたので。ウィリアム・ケントリッジ―歩きながら歴史を考える、そしてドローイングは動き始めた…William Kentridge What We See & What We Know Thinking About History While Walking, and Thus the Drawings Began to Move。



なにか大切なことだったような気がするのに不明瞭であいまいな夢の記憶が蘇えってくるようなおもしろさ。

そしてこの前の日曜日は、2月20日から公開のメキシコ映画、ルドandクルシのイベント。最近活躍しているメキシコの3人の映画監督、アルフォンソ・キュアロン、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ、ギジェルモ・デル・トロが設立した制作会社、チャチャチャフィルムズの一作目、RUDO Y CURSI。こういうイベントって内容がグダグダのことも多いけれど、メキシコの地ビールCerveza Tijuanaを1本とメキシコ料理で1500円。野谷文昭先生のお話も聞けて満足。あまり日本で食べたメキシコ料理をおいしいと思ったことはなかったのだけど、もう一度食べてみたいと思った。どこのお店で食べられるんだろう?最後にはRUDO Y CURSIの劇場鑑賞券も抽選でいただいて払ったお金以上の利益を得て帰ってきた。メキシコのスペイン語が楽しみ、güey!!

2010年2月6日土曜日

Ya Lo Pasado Pasado

起きたことはもう過ぎ去ったこと。取り返しはつきません。
4年前の亡霊が3人生き返ってきて会いに来たような週末。
身震いした。

Ya lo pasado, pasado
No me interesa
Si antes sufri y lloré
Todo quedó en el ayer,
Ya olvidé, ya olvidé
Ya olvidé

Tengo en la vida por quien vivir
Amo y me aman, (soy feliz)
Ya nunca más estaré
Solo y triste otra vez,
Es el ayer, ya olvidé
Ya olvidé

Pido un aplauso para el amor
Que a mí ha llegado
Mil gracias por tanto
Y tanto amor
Vivo enamorado,
Y me he enamorado
Que feliz estoy
Ya todo he olvidado
Ya todo el pasado
Ya le dije adios (ya lo olvidé)

Pido un aplauso para el amor
Que a mí ha llegado
Mil gracias por tanto y tanto amor
Vivo enamorado,
y me he enamorado
Que feliz estoy
Ya todo he olvidado
Ya todo el pasado
Ya le dije adiós


Maldita Vecindad_Lo Pasado Pasado

2010年2月1日月曜日

再会



2、3日前に、元職場の友人とひさしぶりに会ってお茶をしました。場所は御徒町の喫茶店、丘。近況を伝えつつ、最近の買い物やら旅やらちょっとおもしろいと思ったことを話す。一緒に働いていたころのように頻繁には会えないけれど、関係が風化せずにいろいろな話をできるのは素敵なことです。

2010年1月25日月曜日

エジプトの10%の聖地(エジプト4日目)

放ったらかしだったエジプト旅行記を再開します。

4日目はオールドカイロへ。地下鉄のマールギルギス駅で降りるとそこはエジプト古来のキリスト教、コプト教の聖地。エジプトは90パーセントがイスラーム教徒だけれど、残りの10パーセントがこのコプト教徒。

今年1月7日のEl PaísにはLos coptos celebran la Navidad conmocionados por el asesinato de ocho fieles、信者が8人殺害され動揺するコプト教徒クリスマスを祝う、という記事が載っていたけれどエジプト南部で東方教会のクリスマスが始まった1月6日の夜、礼拝に集まっていたコプト教徒に向かって車で通りかかった男らが銃を乱射した。昨年11月にコプト教徒の男が12歳の少女に暴行した報復だという。

去年、新型インフルエンザ、いわゆるブタインフルエンザが世界中に拡大したときにもエジプト政府が大量のブタを焼き殺す様子がニュースで流れていたけれど、ブタはゴミを分別する必要のないエジプトで収集後にゴミを分別する役割を担っている。そしてブタを使うゴミの仕事に従事しているのがコプト教徒。コプト教徒はお金持ちというイメージだったのでその話を聞いた友人は驚いたという。こういう宗教的摩擦がエジプトにはあります。

オールドカイロはカイロ発祥の地。キリスト一家がエジプトに逃げてきたときに身を隠していた洞窟周辺にある教会群は駅をでるとすぐそこ。シナゴーグもあります。二千年ほど前からあるんですよ、キリストがいたんですよと言われても実感が湧きません。実際には後世に再建されたものがほとんどですが。友人がどことなくヨーロッパっぽいと言っていましたが、ヨーロッパに行ったことがないのでわかりません。

馬に乗ってドラゴンを踏みつけている聖ジョージのお姿よく拝見しました。地下に行くと重い拘束具を顔に擦りつけキスをしているおじさんや、迷路のように狭くて暗い瞑想部屋の壁が蝋燭の煤で真っ黒になっており、なんだかその濃厚で神秘的な宗教的エロスの空間に眩暈。地下に謎の井戸があったので一応手を洗ってみました。自分の宗教的見境のなさに日本人のアイデンティティを感じつつ、墓地に行くと供えられていた花がとてもいい匂い。ベンチで休んでいると、近くのモスクからお昼のアザーンが聞こえます。

エジプトでは値段はあってないようなものということで、お土産屋さんではじめて交渉というものに挑戦。聖ジョージのマグネットをそんなに安くはないけど購入。お店の男の子は勉強熱心で日本語も少しだけ知っている。名前はミナ。どういう意味かたずねると「空中にあるすごいエネルギーのようなもの」だと言う。こういう抽象概念や自然現象などを言葉に閉じ込めた名前好きです。コプト教徒の名前とのこと。でも、ときどき怖いのがスペイン人女性の名前。受胎とか、無原罪の聖母とかね。

その後、お昼御飯を食べに中心地へ。
歩いていると、「なんか落としましたよ」と流暢な日本語であやしいエジプト人男子が後ろを指差す。こんな古典的な方法にひっかかって思わず後ろを振り向くと何もない。怪訝な顔でそのエジプト人を見ると「ぼくのハートが落ちたんだよ」と言ってきた。本来の名前を日本人が発音するとアラビア語でゲイと言っているように聞こえるので「ウィリアム」と名乗っている彼は日本人女性と結婚し、1児をもうけ、住んでいた熊本を「すっごい田舎」だという。たくさんのタトゥーに、顔にも耳にもピアス。黒いロックTシャツという見た目はエジプト人というよりメキシコ人。よくよく話をきくと実業家だとか、いま付き合ってる女の子は日本人とアメリカ人のハーフだとかナイジェリア人と新宿でバーを経営しているだとかあやしさ満点なのだけれど、私と同い年だったり東京で住んでいた場所が妙に近かったり、腕にしている娘の名前のタトゥーが私の名前と同じだったりして少し驚く。終始明るくオープンマインドな彼に離婚と別れた娘のことを訊ねると急に顔が暗くなりナイーヴな雰囲気を身にまとう。胡散臭いが悪い人ではなさそう。

アッパーエジプトに向かう準備のため一度、友人宅に帰宅。

2010年1月20日水曜日

ゼリーが揺れてもおかしい年頃


オロスコ自画像、MOMA、ニューヨーク

去年はオロスコの作品を見る機会が何度かありました。今まで縁がなかったのに急にいろいろな場所で立て続けに見かけると妙に意識してしまいます。というわけで、メキシコの画家オロスコの「メキシコの村(Pueblo Mexicano)」を見るためにもう一度ワタリウム美術館の「ルイス・バラガン邸をたずねる」展に行ってきました。バラガン(1902-1988)が自邸に飾っていた絵です。

日墨友好400周年を記念して、バラガン邸がメキシコシティから東京に引っ越してきました。情感的な静寂という空間を断片的に体験することができます。オロスコの絵と同様に飾られていたのが、ジョセフ・アルバースの「正方形へのオマージュ」。言ってしまえばただの色違いの正方形。中学生でも描けそうなくらいシンプルなのに、ずっと飽きずに見ていられるような不思議な魔力があります。こんな空間に住んでいたら外にでたくなくなるのではないでしょうか。今度は本物を見にいこうと思いました。

そして、今週の世界まる見え!テレビ特捜部を見て、天才だ!と感動したのがイギリスの料理人、ヘストン・ブルメンタール(Heston Blumenthal)。ビクトリア朝時代の晩餐では、ゼリーは揺らして楽しむものだったとご存知でしたか?色とりどりのゼリーがテーブルの上でぷるぷる揺れている様子は笑えます。

2010年1月19日火曜日

冬が憎い、と思っていたらもう春の気配がする

El invierno de la vida ha dejado cicatrices tan profundas

En noviembre los planetas
En diciembre muere mi constelación

Seis espadas de cabeza
Una reina que se muerde el corazón

En la mesa trece cartas
El destino se desdobla frente a mi

Las miradas de la gente distraidas en lo negro de sus dias

Esta casa no me quiere
Ha llegado el momento de partir

Lejos de aquí
Lejos de ti

Dos de espadas, tres de copas
Nunca dicen lo que siento
Algo muere poco a poco
Algo me detiene

Hoy me voy


La Gusana Ciega_Hoy Me Voy

2010年1月17日日曜日

新しさがまだ新しかった時代


カメラを持った男(1929)_監督ジガ・ヴェルトフ
Man With A Movie Camera(1929)_Dziga Vertov

1929年のサイレントドキュメンタリー映画。人気のない劇場に人が入り映画は始まる。旧ソヴィエト、現在のウクライナの都市オデッサ、朝になったばかりの人気のない街の風景が映し出される。人々が目覚め、都市が動き出す。結婚、離婚、葬式、出産など当時の都市生活の様子が多重露光、ストップモーション、スローモーション、早回し、移動撮影など当時の最先端の撮影技法を多用した先鋭的なカメラの視線で記録された作品。

斬新。80年も前に撮られた映画とは思えない。市電やフラッパー娘、海辺での海水浴が出てくる映像を見て、ケストナーのエーミールシリーズをふと思い出して調べてみたら、「エーミールと探偵たち」が書かれたのが1928年。休暇を利用してベルリンの祖母に会いに行ったエーミールが託されていたお金を相席した男に盗まれてしまうけど、高層ビル、ネオンサイン、車の洪水、新聞社、映画など新しいものがたくさん集まっているベルリンに住む少年たちと協力して犯人の男を捕まえる、「新しさがまだ新しかった時代」の話。この時代の作品には新しいことにワクワクする気持ちが閉じ込められている気がする。

2010年1月16日土曜日

カルペンティエル地下文学賞

神宮前でおいしい蕎麦を食べて身体が温まってからロータスでカスタードと林檎のシブーストとコーヒーを楽しんでいると、カルペンティエル地下文学賞という名前が目に飛び込んできた。名前を聞いたことがあるけれど、一度も読んだことはないキューバの作家だ。

チラシを手に取ると、それは菊地成孔とぺぺ・トルメント・アスカラールが2月の初めにライブをやるという告知。<色男による(ペペ)/砂糖漬けの、拷問(トルメント・アスカラール)>という名を持つ、世界でも類を見ない奇妙な編成のオーケストラ(ピアノ、ウッドベース、二群のパーカッション、弦楽四重奏、バンドネオン、ハープ、そして菊地によるサックス/ヴォーカル/コンダクツの11人編成)。


菊地成孔とペペ・トルメント・アギラール_ルペ・ベレスの葬儀

ルペ・ベレス、Lupe Vélez(1908-1944)はアメリカで活躍したメキシコ人女優。不倫の末に妊娠してしまい、睡眠薬を飲んで自殺した。花を敷き詰めたベッドに横たわっている死体が発見されたとか、睡眠薬の過剰摂取による嘔吐で意識が朦朧としたままトイレに頭をつっこんで溺死していたなど、その死には諸説あるという。


書店で探していた本をみつけると、菊地成孔の本が横に並んでいることがよくある。今まで敬遠してきたけど、上の映像をみて読んでみようかなと思った。でもそれより、カルペンティエルを読もうかな。

2010年1月14日木曜日

あだ名


ポソレ
というのは、メキシコのスープ。

「豚の頭などの煮汁に、カカワツィントゥルと呼ばれるジャイアント・コーンの一種を細く裂いた豚肉か鶏肉と一緒に煮たスープで、味付けは、地方によって異なるのですが、基本的にはにんにくと塩のみ。食べるときにタマネギのみじん切り、オレガノ、チレ、アボガド、ラディッシュ、レモン汁をお好みで入れて食べる極く大衆的な料理」

去年1月の、El PaísのDetenido un sicario mexicano que disolvió 300 cuerpos en sosa cáustica、300体を苛性ソーダで溶かしたメキシコ人殺し屋逮捕という記事を読んだ。受け取った死体をドラム缶にたんぱく質を溶かす苛性ソーダといっしょに入れて24時間置いておき、浄化槽に捨てていたために仲間内でEl Pozolero(ポソレ作り)というあだ名で呼ばれていたという冗談のような話。

ティフアナという街はメキシコ政府が自身の統制が及んでいないことを認めている6都市のうちのひとつ。実質的な統制権を巡って2つの集団が争っていて、2008年には6000人も殺されたというからおそろしい。16人の若者の舌を切られて銃で殺された死体が見つかると、その次の日にはライバルの組織の報復。腐った死体が3人分入ったドラム缶には「(お前たちを)ポソレにしてやる」というメッセージがついていた。

そして昨日は、Detenido el capo de Tijuana que ordenaba convertir en caldo a sus rivales、ライバルたちをスープにしろと指示していたティフアナのボス逮捕という記事が出ていた。Teodoro García Simentalという名のこのボスがEl Teoと呼ばれるのはまだわかるけど、もうひとつのあだ名がEl tres letras。「3文字」という意味だけど、お笑い芸人みたい。カルデロン大統領が2006年から軍隊を投入して乗り出した麻薬撲滅作戦がそれなりの成果を見せているのだろうけれど、メキシコでおきる事件は残忍でぞっとするような話なのにどうにもディテールが滑稽。不思議な国だ。

2010年1月12日火曜日

共有の笑い



ぺらっと紙がはがれてしまってもさっとアドリブで対応し、それすらも自分の芸を見せるチャンスにしてしまう。それもすばらしいけれど、中川家のシチュエーションものまねに「ドア」だけでこれだけ広がるのかと感心。

ドアが持つ「コンテクスト」の共有が笑いにつながるのだと思うけど、その違いが見られるようなあるあるネタ世界オリンピックがあればいいのにと思いました。世界中のほとんどの人たちがポカンとする中、ある地域だけ大爆笑。訪れたことがある人や、故郷を遠く離れている人がクスッと笑う。見てみたいです。

とりあえず、今月末に中川家を劇場に観に行くことにしました。
楽しみ。

2010年1月9日土曜日

スカーフのおしゃれ

昨日、EL PAISでこんな記事を読んだ。El partido de Sarkozy prepara una ley para prohibir el 'burka' con multas de 750 euros、フランスの与党幹部がブルカ、ニカーブ着用を禁止する法令を準備し、違反した場合750ユーロ(約10万円)の罰金を課すという。ブルカやニカーブなどとは明示せず、「文化行事などを除いて公共の場所や道路で顔を覆うのを禁じる」というもの。エジプトに行って初めてヒジャーブという言葉を知ったけれど、イスラム女性のスカーフの違いはコチラ。



一番左 ヒジャーブ
イスラム女性の典型的なのが顔を隠さないスカーフ。
多くの女性がアイデンティティの象徴として着用する。

左から二番目 ブルカ
全身を隠す。目の部分が布の覗き穴になっていて、そこから見えるけれども外からは見られないようになっている。手まで覆われる。

真ん中 ニカーブ
ひざまで覆うが、目の部分は隠さない。目の部分はほかのベールを組み合わせる。

右から二番目 シェイラ
長方形のスカーフで、ペルシア湾地域で使用される。頭部を覆う。

一番右 チャドル
家の外でイランの女性が使う。身体全体を覆い、頭のスカーフと組み合わせることもできる。

サルコジ大統領は数ヶ月前に公式演説で、ブルカやニカーブのような服装は望ましくないと言ったそうだけど、オランダではすでに2006年公共の場所でのブルカ、ニカーブの禁止が法制化されている。2004年にはフランスで公立学校での誇示的な宗教的標章の着用を禁止する法律がつくられた。でも、フランスの立憲主義という伝統的立場からみると政教分離に基づいた公共教育の場での宗教的中立という説明はそれなりに理解できた。しかし、公共の場での全面的禁止というのは行きすぎな気がするが、ブルカやニカーブのような全身を隠す服装は「女性抑圧の象徴」だとして昨年、国民議会(下院)に調査委員会が設置された。

女性がそこにアイデンティティ価値を見出して自ら進んで着用するものを、他者の価値で判断するのは慎重にするべきだと思う。偏見が多いのも事実で、ドイツでは09年7月、マルワ・シェルビニさんはヒジャーブを着用していたところ隣人のロシア生まれのドイツ人男性に「テロリスト」などと侮辱されたため提訴した。そして、その審理がおこなわれていた法廷でその男に刺殺された。妊娠3か月だったシェルビニさんは18回も刺され、守ろうとした夫が守衛に誤って撃たれて重傷を負った(Murder of Marwa El-Sherbini)。

でも、抑圧されている状態に本人が気づいていない場合、もしくはおかしいと思っていてもなにもできない場合というのもある。そういう場合には積極的に他者が介入していくのも必要だと思うのは先日たまたま読んだ「誰かがわたしを壊す前に」の影響。

主人公のジャジーラは13歳の女の子。自分の恋人がジャジーラに興味があることに気がついた母親はジャジーラをテキサスに住むレバノン人の父親のもとに送る。父親のリファットはとても厳格な人。父親とブラジャーを買いに行くなんて思春期の女の子には地獄だけれど、そういう気持ちがリファットには全然わからないし、結婚前にタンポンを使うのも許さない。親なんだから娘にとっていいことを知っているという。彼氏が黒人だと知ると会うのを許さない。背けば殴る。

原題のTowelheadは頭に布をまいているアラブ人の蔑称。ジャジーラは学校の同級生からそう呼ばれる。そんな中、ジャジーラは隣のミスター・ヴォーソの10歳の息子のベビーシッターをしながらミセス・ヴォーソのタンポンを盗む。プレイボーイを定期購読しているミスター・ヴォーソは13歳のジャジーラには優しくしてくれるように見えるけれど、それは彼女の女らしくなりつつある身体に興味があるから。でも、ジャジーラはそれ以上の意味があると思ってしまう。逃げ場のない思春期の女の子は痛々しい。数年前にアカデミー賞を受賞した「クラッシュ」のように性、人種、宗教様々な価値観が多方面でぶつかりあう。

ちなみにこの本、Nothing Is Private(2007)というタイトルで映画化されている。アメリカンビューティーやシックスフィートアンダーのアラン・ボールが監督。MR.ヴォーソがアーロン・エッカートだ。


さて、ニカーブの着用に関してはエジプト国内でも去年喧々諤々の議論が交わされていた。エジプトは国民の90パーセントがイスラム教徒だけれど、ニカーブの着用に関しては意見が分かれる。大半の女性がヒジャーブを着用しているカイロでもここ数年ニカーブを着用する女性が増えている。

去年9月にイスラム教スンニ派の最高学府として世界各地にイスラム教指導者を多数輩出しているアズハル大学のタンターウィ総長が、「ニカーブはイスラームと全く関係がない」という声明をだした。そして、タンターウィー総長は10月にアズハル付属のすべての教育機関でのニカーブ着用を禁じ、教師が男性の場合にのみ許可するとした。同様に、アズハルのイスラーム教育機関に付属する大学の寮でもニカーブ着用を禁止した。また、ユスリー・ガマル教育大臣も今学期の冒頭、学校内でのニカーブ着用を禁じた1995年の教育省決定を有効にすると発表していた。

しかし、12月にはニカーブを着用することは自由の一つであり、いかなる行政部局であれ、その着用を全面的に禁じることはできないとして、ニカーブ着用女子学生の学生寮への入場を許可せよとの司法判決がでている。それに対しカイロ最大の大学の一つであるアインシャムス大学は、上告すると決定し、同判決の執行停止願いを提出することにした。

参照:エジプトの大学で女子学生のニカーブ着用が司法を巻き込む論議に

エジプトで友人が戒律の厳しいイスラム教国を旅行したときに女性専用ホテルのロビーでニカーブを着た女の人が口の部分の布をさっと外してニッコリ笑ったときに同性だけどすごくドキッとしたと言っていた。たしかにニカーブを着用している女性は謎めいていて艶かしい。でも、不気味だと考える人もいる。見えないほど見たくなる、想像が逞しくなるのだ。

ファックス送信音

以前アメトークで大阪や福岡では人気があるのに「東京にハマってない芸人」として出演していた中川家。お客さんがアンケートで、むしろなぜハマらないのかわからない!というほどの芸達者。

そんな中川家の弟礼二が、同じく芸達者の清水ミチコとアドリブコントをしたときの映像がこちら↓。ちなみに中川家のおかまのおじさんがやっていたお店の名前は、木を4つ書いて「ジャングル」と読むそうです。

2010年1月3日日曜日

Dejenme Si Estoy Llorando

メキシコのEl GRAN SILENCIO

ロックをベースとして、レゲエにクンビア、ラップとノルテーニョなどなどいろいろなジャンルの音楽を混ぜ合わせたいわゆるミクスチャーという音楽。たしか2003年のフジロックにも出演していました。基本的には騒々しいけれど、ときどき歌う感傷的な歌がぐっと来ます。



Déjenme si estoy llorando
ni un consuelo estoy buscando
quiero estar solo con mi dolor
si me ves que a solas voy llorando
es que estoy de pronto recordando
a un amor que aun no consigo,
Olvidar

Déjame si estoy llorando
Es que sigo procurando
en cada lágrima darme paz
desechándola se llena el alma
si ha sufrido perdiendo la calma
y yo quiero olvidar que tu amor
ya se fue.

Si me ven que estoy llorando
es que solo voy sacando
la nostalgia que ahora vive en mi
no me pidan ni una explicación
si es que va a dañar mi corazón
la felicidad que ya perdí,
me ha negado en este mar de llanto
sentiré que no te quise tanto
y quizás me olvidaré de ti.

(Déjenme,
Déjenme,
Déjenme si estoy llorando)

Déjenme, si estoy llorando
Que no puedo soportar
Vivir sin ella ni un minuto más
Déjenme solo con este dolor
Que fue mi error
no aceptar el final
distanciarlo fue mejor
que poco a poco
las lágrimas
borran los recuerdos
la nostalgia
o al menos trata de
de engañar al alma
disfrasando la soledad
pero la verdad no es esa
porque tambien yo no lo olvido
mi consiencia aun está conmigo
de tus labios no me he desprendido
a pesar de todo no lo consigo
He intentado alejarte de mi lado
no he encontrado el método correcto de logralo
recordarla a cada momento por tanto tiempo
me es imposible olvidar
sin razonar déjenme llorar.

Si me ven que estoy llorando
es que solo voy sacando
la nostalgia que ahora vive en mi
no me pidan ni una explicación
si es que va a dañar mi corazón
la felicidad que ya perdí,
lo ha negado en este mar de llanto
sentiré que no te quise tanto
y quizás me olvidare de ti.