2009年12月31日木曜日

赤いおみやげ

掃除していたらでてきた毛沢東バッジと2日前に友人にもらったベトナムみやげのノート。

ベルリンの壁崩壊後に生きる人間として社会主義を支持するとは言えないけれど、近代の夢の名残にはノスタルジックにあこがれる。

2009年12月26日土曜日

ハイウェイ

今日は横浜の中華街にて家族で毎年恒例の食事会でした。父が昔、横浜で働いていたことから始まった習慣です。

帰り道はひさしぶりに車で京浜工業地帯を通り抜けました。オレンジ色の高速道路の街灯と工場の白い光、紺色の夜空と煙突からもうもうと出ている白い煙に見惚れてしまい、動画を撮ろうと思いたったときにはすでに羽田の近く。なんだかちょっと車の免許がとりたくなりました。道路が悪いのか、それともただ弟の運転が荒いのか、すごく揺れてしまった動画です。

2009年12月19日土曜日

メメントモリ

金曜の仕事帰りは六本木。目的は森美術館で開催中の「医学と芸術展:生命と愛の未来を探る」

いろいろとつめこみ過ぎてぼやけてしまった感じがしないでもなかったけれど、展示されていた鉄製の義手は「科学(医学)と芸術が出会う場所としての身体」というテーマの象徴ともいうべき美しさ。でも、見た目は繊細だけれど使うとなると、重そう。ほかにも17世紀から18世紀頃の象牙でできたミニチュア妊婦解剖模型や女の人の身体のお腹の部分をめくると内臓と胎児がびろーんと見える仕掛け絵本のような医学書はキッチュなかわいさがある。

とくに印象に残ったのがWalter SchelsとパートナーBeate LakottaのLife Before Deathシリーズ。病で人生の時間があまり残されていない人たちの写真を本人や家族の了解のもとに撮ったもの。左に生前、右に死後まもなくと並べられている。ちょっと涙がでた。同情とかではなく、生と死は連続しているけれど決定的に断絶しているということが2枚の写真で迫ってくる。

見終わって展望室に行くと見えるのはきれいな東京の夜景。東京タワーもクリスマス仕様。でも、撮りたい時にいつもカメラを忘れてしまう。

2009年12月10日木曜日

妄想の作法

結局、上司の方がセクハラ氏に私から話を聞いたとは本人に言わずに「見ているとあなたの行動は職場にふさわしくない」と言ってくれることなったのは1週間前。それ以来、被害はなくなった。というか、セクハラ氏はあいさつもしなくなったし目も会わせないようになった。とても気まずい。

オッス!トン子ちゃんの続巻がポプラ社から発売された。マスターの衝撃的な過去に電車の中で笑いを堪えたけれど、トン子ちゃんの作者はバカドリルのメイン絵師。そして、バカドリルがmixiの日記に書いたのが下のアントワネット妄想。わー、ビックリした。私もずっと前から「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」を応用するというのを考えていて、いろんなひとに訊いてみたかったのだけれど、ウザイめんどくさいと思われるのがオチと思っていたら同じようなこと考えている人がいるんだね。今日も「図書館になければアマゾンで買えばいいじゃない」の脳内KY発言にそそのかされてAmazon.co.jpを徘徊しています。

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【妄想入門・その8・アントワネット妄想】

「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」
マリー・アントワネットによるこの有名な発言が、当時のフランス庶民の感情を、大いに逆なでしたことは間違いない。しかし声高に彼女を批判した者の中にも、その裕福さに一種の感動を覚えた者は少なくないだろう。
虐げられた側にも、密かなセレブ願望はある。民衆は革命に蜂起しながらも、彼女に屈折した憧れを抱いていたに違いない。

格差社会と言われる現代。しかし18世紀のフランスに比べると、私たちにはまだ、それを憂うだけの余裕がある。たしかに生活は苦しいが、ときには自らアントワネットになりきることで、ひとときの裕福感を味わうのも悪くない。

「パンがなければお寿司をとればいいじゃない」
そう胸の内でつぶやくで、たとえそれが小僧寿司のいなりセットでも、私たちは自ら広げた選択肢に、心地よい手応えを感じることができるだろう。
「服がなければパジャマでいいじゃない」
近所のコンビニくらい、パジャマ姿でいいじゃない。真のセレブは外見など気にしない。自分に言い聞かせたアントワネット発言が、あなたを着替えの煩わしさから解き放つ。
「靴がなければティッシュの空き箱でいいじゃない」
捨てればゴミの空き箱も、身につけることでファッションになる。アントワネットの思想は早すぎたエコだったのかもしれない。ちなみにティッシュ箱を履くときは、中に5枚程ティッシュを残すとよい。残したティッシュがクッションがわりになり、履き心地が格段にあがる。

果たして物質的に豊かなことだけが、幸福の条件だろうか?
「車がなければおんぶでいいじゃない」「テレビがなければアリの観察でいいじゃない」「携帯がなければ貝殻耳に当てればいいじゃない」「トイレットペーパーがなれけば木べらでいいじゃない」「家がないなら他人のベランダでいいじゃない」
貧しさを嘆くより視点を変え、拓かれた可能性に目を向ける。
当時のフランスで、パンの代わりに菓子を示した彼女の言葉は、たしかに歴史上もっとも有名なKY発言と言えるだろう。しかし彼女が無邪気に提示した「いいじゃない精神」は、物質主義に固執したいまの時代にこそ、再評価されるべきではないだろうか?


これ買おうかな?