2009年10月31日土曜日

水郷探訪(3日目)


上海に滞在した6日間は毎日がくもり、もしくは雨。周圧に行った3日目が一番雨が降っていたのだけれど、周圧は水郷の町。

寒いし雨だしあまり人はいなかったけれど、伝統的様式の四合院の家をみた。いつも応接間しか見たことがなくて寒そうだしどうなってるんだろうと思っていたけれど、2階のプライベートな空間に入れたことでずいぶんイメージが広がった。家を訪ねてきたお客さんの男の人をこっそり女の人が上から見るための小さい窓があったりする。

お昼ごはんが油っぽかったのでお茶を飲みながら中国琵琶の生演奏を聴いてゆったりしたあとに路地を歩く。お客さんがいない観光案内所の建物の中で女の子がふたり踊っているのが見えた。菜館(レストラン)の中には麻雀をする人たち。きれいに修理された建物の中にぽつんと朽ちかけた家。好き勝手にのびた草の中、家の前で小さなおばあさんが物乞いの右手を差し出していた。

入口の前にはお土産屋さんが並んでいて雨の中でも客が前を通れば呼び込みをしていたけれど、二胡の値段が知りたくて中国の伝統楽器のお店に行くとそこのおじいさんはまったく応対する気がないらしい。すると、隣のお店のおじさんが「この子たちは楽器がみたいみたいだよ」と(たぶん)言ってくれたのだけれど、楽器屋のおじいさんはそのおじさんに大きな身ぶり手ぶりで話し出した。

どうやら「この前もさー、日本人が来たんだよ、で、楽器を見せろっていうワケ、だから持ってきてそいつに渡したらタラーンって、そりゃあ見事に弾くんだよー。おれは感心したね」といったようなことを話しているらしくて、もうひとりのおじさんが「そりゃすごいけど、ほらこの子たちだって。。」と言ってくれているのにまだまだその話を続けるおじいさん。

それを見て困ったようにおじさんが笑って「ヤッブンヤン?」と話しかけてきた。この中国語の単語知っているよ!と嬉しくなってうなずく。そうです、日本人です。そうかそうか、とまた笑顔。楽器屋のおじいさんが気持ちいいほどに売る気がまったくないようなので「謝々!」と言って店を後にする。「ほら行っちゃったよ」と(たぶん)言われて自分の話で盛り上がっていたおじいさんが「ああ、忘れていた!」という感じで豪快に笑った。

私たちもおもわず笑ってしまったけれど、妹が北京語で日本人は「ジーベンレン」だろうと言う。そういえば、ヤッブンヤンは広東語だ。それでも意味が通じたことに嬉しくなる。

2009年10月15日木曜日

物見遊山(2日目)


伝統的中国式庭園、豫園。このエリアに来るとさっきの外灘の洋風な景色からは一転、中国らしい雰囲気になる。そろそろお腹も空いてきたので、南翔饅頭店で名物、小龍包を食べた。1900年創業のこの老舗の小龍包は「上海大腕」で藤井隆が食べていたのを見て絶対食べようと思っていたのだけれど、すごい行列。

気温はまだまだ寒くて厚手のコートの中で身体を縮めて待つ。お店の横から噴き出している真っ白い蒸気。すぐ後ろに並んでいる中国人の女の人は何度も何度も私の肩から顔をのぞきこませていた。その距離10センチほど。せっかちだなー。中国全土から観光客がやってくる豫園。行列の横をみんなおそろいの黄色や赤の帽子をかぶったおばさんたちのグループが同じプラスチック製のショルダーバッグをかけて賑やかに通り過ぎていく。やっとたどり着いた小龍包は本当においしかった。

そのあとは庭園の中を見学。映画や写真の中の中国の古い家に憧れていたけれど、はじめて本物を見た。ゆったりした空気。辮髪の李連杰が私の心の目には見えたよ。でも、バイクのクラクションやおしゃべりの聞こえてくる路地を庭園の塀から覗くとそこは現代の中国。狭くて汚い食堂や独創的な方法で干してある洗濯物が見える。



家楽福、すなわちカルフールに行こうとあるホテルのインターネットで場所を調べた。利用料金がすごく高くて、しかも印刷するとさらにお金がかかるのに間違えてたくさんページが印刷されてしまってあせっていると、担当のお姉さんが「もったいないから本当に必要なページの分のお金だけでいいよ」と言ってくれた。優しい。

スーパーマーケット家楽福は地下鉄中山公園駅に直結していた。お土産用にとライチ味とキュウリ味、そしてブルーベリー味のポテトチップを買う。独創的。お惣菜のコーナーが充実していておもしろかった。味見させてくれるし。気にいったものを少し買って夕飯にする。

そして、帰りに出会ったのが澳門莉蓮蛋撻餅屋(リリアンケーキショップ)のエッグタルト。アツアツでサクサク。へぇ。やっぱりこうやって表現するんだね。

2009年10月13日火曜日

華洋折衷(2日目)


昨日は青山で友人の結婚式にお呼ばれ。アットホームで素敵でした。近頃見かけなくなった教科書通りのスピーチもおもしろかったのですが、一緒に列席していた友人がほかの女性ゲストを見てもらした「みんな羽衣つけてる」という感想が印象的でした。
お幸せに。

旅行先から汚い部屋に帰ってくるのは嫌なので大がかりな掃除をしているのだけれど、なんとなく自分で遺品を整理しているような気持ちになった。その話をS木さんにすると「あ、向田邦子も旅行前にはかならずきれいにしていたらしいですよ。で、唯一しなかったのが最期の旅行らしいです」と言われた。はは。

さて、上海2日目。

朝8時ごろに目を覚ましたのはがりがりと壁をこする音。廊下の壁の改修工事でした。

朝の光の中で、夜は見えなかったことがいろいろわかりました。部屋を出てエレベーターに向かうと目の前を陳健一みたいな帽子をかぶった料理人が行き来しています。昨日の夜の水槽はそういうことだったみたいです。水槽の向かいにある小部屋は50年くらい前からそのままなんじゃないかと思うようなレトロな事務室。窓から射す朝の光の中で老眼鏡をかけたおじさんがひとりでデスクワークをしていました。

1階に降りれば、そこはデパートの中。昨日の夜の男の人たちは夜警だったのでしょう。次々に謎が解けていきます。南京東路にでると、女の人たちがグループに分かれてバドミントンをやったり剣舞をやったり、踊ったりしています。みんな朝が早い。





そのまままっすぐ外灘のほうに歩いて行くと見えてくるのは河の向こうの東方明珠塔、横にはアールデコ調の和平飯店。上海だ!と実感します。和風と洋風が混ざったものを和洋折衷というけれど、同じように中華風と洋風がミックスされたものを華洋折衷というようです。華洋折衷都市、上海。



黄浦江に沿って威圧的に立ち並ぶ租界時代の洋風建築は現存している建物の大半が1920~1930年代に建てられたもの。でも、2010年の上海万博のためか大がかりな工事中で人もまばらだったのは残念。



次は歩いて豫園に向かいます。

2009年10月12日月曜日

上海到着(1日目)


上海行きのチケットは到着と出発の時間で値段がかわる。行きの日本出発が早かったり、帰りの上海出発が遅いならチケットが高くなる。それだけ滞在時間が長くなるから。

安いチケットだと日本を夜に出発して上海からの帰路は朝や昼ごろ出発になる。私たちの場合はこれ。しかも、出発が遅れたので上海に到着したのは夜11時ごろ。リニアモーターカーはもう運転していないようなので、ホテルにはタクシーで行く。乗り込んで、ふと後ろを振り返ると見えたのは浦東国際空港から龍のように夜に浮かび上がるらせん状の道路。

空港から上海市の中心、南京東路のホテルまでは1時間くらい。オレンジ色に規則正しく並ぶライトの中をとばしていくタクシー。ほかに走っている車もなくて、ぽつんぽつんと見える建物と大きい看板と広い空に、スペーシィ!これが大陸かと思う。

中心に近づくと現れるのが高層ビル。窓の形が日本と違うのか、高いビルに細かく並ぶ正方形の窓の光はキャプテンハーロックのサンゴのような惑星都市みたい。

タクシーの運転手が正確な場所がわからなかったみたいで、違うホテルに着いてしまった。あたりまえだけど、違うよ!と言ってもNO!と言っても通じない。ガイドブックの地図を見せてここ!ここ!とがんばる。すると、ぐるぐるとその周辺をまわってくれたのだけど、やっぱりわからない。ちょっと待ってろ、とたぶん言って南京東路のど真ん中に車を止めた。近くにいた人に訊ねたり、電話で誰かに連絡してくれている。

はじめての中国で言葉もわからないし、もう夜中の12時も過ぎてちょっと心細くなったときに「あ!」と妹が指差したのが後方右上。すぐそこ!「あったよ、ここだった!」、一生懸命だった運転手は日本語で言われて混乱していたけれど、これ以上説明はできないので、「謝々!謝々!謝々!」と言ってお金を払って降りた。

今夜の寝床までもうすぐ。恐る恐る扉をあけて薄暗い建物の中に入ると、暗い中にセーターを着たマネキンが並び、ワイシャツやジャケットが所狭しと並んでいる。すると、奥の暗闇からひとりの男が現れて中国語で話しかけてきた。わ!と思ってよく見るととさらに後ろにもうひとり、長椅子で寝ていた男が半身を起した。どうなっているんだと妹と顔を見合わしたけれど、タバコを挟んだ指で示された横の階段をのぼってホテルの受付にやっと到着。

ずっと眉間に深いしわを寄せて後ろの事務所にいる女の子と大声で話しながらチェックイン作業をするホテルの受付嬢からカードキーを受け取ってエレベーターを降りた。どーんと置かれた食用の魚の水槽を横目に奥に歩いていってやっとたどり着いたわたしたちの部屋。もう夜中1時だったけれど、滞在数時間でこのインパクト。少しの不安と大きな期待を胸に眠った。

2009年10月11日日曜日

ファラオの呪い

エジプトの友人から旅の2、3日前から帰国後2、3日後までビオフェルミンを飲み続けたほうがよい、とメールがきた。エジプトでは外国人がお腹をくだすことを「ファラオの呪い」と呼ぶらしい。メキシコでは「モクテスマの復讐」と呼ばれているけれど、エジプトのは高熱や嘔吐を伴ったりすることもあるみたいでなんだか強烈そう。

いろいろなブログにお邪魔をしてエジプト旅行記を読んでいる。おもしろくて、しかも旅程の参考になる。私も今年の2月から3月にかけて行った5泊6日の上海旅行について忘れちゃう前に書いておこう。



旅仲間は妹。上海に行くと決めて、航空券を購入しようとネットでみた旅行会社に電話をすると対応してくれたのは中国人の女性。馬さん。思えばそこから中国旅行は始まっていた。

その前にHISにも航空券について質問していたのだけれど、電話での対応はあまりいい印象ではなかったし、カウンターでの対応は丁寧だったけれどなぜか利用したいと思わなかった。日程と燃油サーチャージのこともあるのでなるべく手頃な値段でお願いしたいと希望を伝えると「そうだよねー、わかるわかる。」と中国人特有の日本語で言った馬さんにぐっときた。

いくつかの可能性を提示したあと、日系の航空会社のお手頃なチケットが手に入るかもしれないという。「うちは航空会社にけっこう強いから70%大丈夫だと思う」、明日確認して連絡するという。80%でも60%でもない70%という絶妙な数字。ちなみにこの日「ちょっと航空会社から電話がかかってきたので5分後くらいに電話をかけ直す」と言われて電話を一度切られている。
マイペース。

次の日、電話を待っていてもかかってこない。こっちから電話すると「あっ!忘れてた!申し訳ありません」と謝ってくれた。なんだか憎めない。いま確認してからかけ直すと言われて一度電話を切られた。そして、また航空会社から電話がかかってきたのでともう一度電話を切られたけれど、最終的に日系の航空券は無理だったので中国国際航空のチケットに決まった。

この話を聞いた友人は時間と心に余裕があったからいいけれど、これがほかの人だったらすごく怒るかもねと言った。そうかもしれない。このマイペースぶりをチャーミングと思える、これがこの中国旅行のコツだったのかも。

2009年10月8日木曜日

旅立ち

エジプトへの出発まであと10日。

数日前に友人のお母さんから荷物を預かった。もしかするともう少し運ぶ荷物が増えるかもしれないと今日も電話があった。お世話になる立場なので、むしろこういう任務があったほうが気楽。

来週でふたつのうちのひとつの仕事を辞める。あと1週間。

今まで話したことのない運送のおじさんに「辞めるんだって?」っと話しかけられた。「どうして知っているんですか?」と驚いて訊くと、「いやだって、顔に書いてあるからさ。」と言われた。笑ってしまった。顔に辞めますなんて書いてあるはずないのに。おそらく誰かから聞いたのだろうけど。それとも、顔に全部出てるのかな。嘘つけないな。

「辞めてどうすんの?」と訊かれた。とりあえず旅行に行って考えるのはそれからだ、と言うと「じゃあ、他の本屋に話してみるよ」と言ってくれた。また本屋で働きたいかどうかはわからないけど、なんだかちょっと嬉しい。

最後にバタバタしないようにと仕事仲間からもうお餞別ももらった。シャンパンとクッキー。おいしそう。K島さんからは別にしおりとFLIGHT OF THE CONCHORDSのCDをいただいた。



FLIGHT OF THE CONCHORDSはニュージーランド出身の2人組ミュージシャン。アメリカで放送されていたのがニューヨークで成功しようと彼らが頑張るコメディドラマ。ミュージカル風でおもしろいと聞いていたけれど、一度もそんな話をしたことがなかったのにこういうふうにズバッと好みのものを当てられると心がうずく。きゅっとなる。ちょっと溶ける。

あたらしくなにかをしようと思って辞めるのだけれど、もう今までみたいに頻繁に会えなくなるのはやっぱりさみしい。

帰り道は台風一過。風に吹かれた葉っぱがたくさん落ちてる道路はもうほとんど乾いているの蒸し暑くて、目が覚めるような濃い青空を白い雲が速いスピードで流れていった。


FLIGHT OF THE CONCHORDS_MERMAIDS


FLIGHT OF THE CONCHORDS_FRODO, DON'T WEAR THE RING

夢の中


くるり_夢の中(BO GUMBOS cover)

流されて 流されて どこへ行くやら
くりかえす くりかえす いいことも やなことも
淋しいよって 泣いてても 何ももとへはもう もどらない
欲しいものはいつでも 遠い雲の上

はたらいて はたらいて 汗にうもれて
まちがえて まちがえて 手も足も出せなくて
淋しいよって 泣いてても 何ももとへはもう もどらない
欲しいものはいつでも 遠い雲の上

明日もどこか 祭りを探して
この世の向こうへ連れて行っておくれ

夢の中 雲の上 夢の中 雲の上
So Precious, Down In New Orleans

2009年10月4日日曜日

売れる本といい本は違う

年間約8万点の新刊が出版される日本。
その種類はいろいろ。
読む人もいろいろ。

美容院で「読書の魔力」という特集のCREA9月号をパラパラとめくっていたら、特集されている本をほとんど一冊も読んだことがなかった。比較的本は読んでいるはずなのにと驚いた。

その話をすると「あれはベストセラー特集だからね」と書店員K島さんのありがたいお言葉をいただいた。ちなみに、もうひとつの名言は「自分が好きじゃない本を並べると売れる」。

昨日、最近のベストセラー「筆談ホステス」が読んでみたいと言った子に、私の読書の好みをキツイ言葉で否定された。唖然とした。

近頃どうにもその子と話すとモグラ叩きのモグラの気持ちになる。なんか嫌われるようなことしたかなと思って反省したこともあったけれど、今はただただ面倒くさくなってきた。
すごーーーーーーーーーく面倒くさい。

2009年10月2日金曜日

ドラゴンは踊れない

髪の毛を切って染めた。髪の黒いガルマ・ザビになった。

             ↓こんな感じ。


定職につかず、ひとり部屋で年に一度の、しかもたった二日間のカーニヴァルで着るドラゴンの衣装をつくって一年のほかの日を過ごしている。主人公がそんな男となるとちょっと躊躇するけれど、どうしても読んでみたいと思わせるような不思議な引力があった「ドラゴンは踊れない」アール・ラヴレイス著、中村和恵訳(みすず書房)。こういう嗅覚はあまり間違ったことがない。

「ドラムが鳴り、抵抗のダンスが始まる。
 世界の片隅に生きる人々の希望を賭けてバンドマン、
 スラムのごろつき、そして恋する者達が踊る、
 カリブ海文学の傑作。」

破滅的な抵抗の舞台はトリニダード・トバゴの首都ポートオブスペインの丘、カルヴァリー・ヒル。カリブ海の太陽の光と濃厚な夜の闇、むんとする空気に漂うカーニヴァルの音楽はカリプソとスティールパン。踊れなくても大丈夫。この本を開いたらそのまま文章のリズムとスピードに感覚をまかせたらいい。

「貧しさという鍵、それは魔法で守られたメダルだ。その魔力は彼らに神秘的な純血性を与え、彼らを抵抗運動の貴族にした、祖先が奴隷制の下でずっと保ち続け、マルーンとして、逃亡奴隷として、ブッシュ・ニグロとして、反徒として、止むことのない逃亡の中ずっと引き継いできた抵抗の、正当な継承者にしたのだ。

残虐な暴力の場から彼らを引き離してくれる逃亡を実行できないときは、彼らは奴隷制プランテーションのど真ん中で抵抗した、タバコとコーヒーと綿花とサトウキビの中で、自分たちの人間性を主張したのだ、考えうる限り、実行しうる限り最もすばらしい抵抗、サボタージュの行為によって。彼らは怠惰と愚かさと怠慢と無駄をひとつの宗教に仕立てあげた。洪水と台風と地震を讃えてホザンナを歌い、作物に損害と悪疫がもたらされるよう祈った。

奴隷解放後も彼らはそれをやめなかった。解放は彼らをより深い怠惰と無益に導いただけだった、あいかわらず人々を飲み込んではひき潰し、砂糖とココアとコプラを吐き出させ続ける植民地制度、この大製粉工場のひき割り麦となって帝国に益をもたらすのを彼らは拒否したのだ。だから彼らはこの丘にキャンプを張った、敵の眉毛の上に陣どって、変わらぬ熱情をもってもう一度あの教えを磨き、推し進めることにしたのだ、怠惰と怠慢と無為の三位一体を信奉するあの抵抗の宗教を。」

最後の1ページを早く読みたかったけれど、ページをめくるのがもったいない気持ちもある。読むなら4時間ほど集中できるような環境で一息に読むのがお勧めです。