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2010年1月25日月曜日

エジプトの10%の聖地(エジプト4日目)

放ったらかしだったエジプト旅行記を再開します。

4日目はオールドカイロへ。地下鉄のマールギルギス駅で降りるとそこはエジプト古来のキリスト教、コプト教の聖地。エジプトは90パーセントがイスラーム教徒だけれど、残りの10パーセントがこのコプト教徒。

今年1月7日のEl PaísにはLos coptos celebran la Navidad conmocionados por el asesinato de ocho fieles、信者が8人殺害され動揺するコプト教徒クリスマスを祝う、という記事が載っていたけれどエジプト南部で東方教会のクリスマスが始まった1月6日の夜、礼拝に集まっていたコプト教徒に向かって車で通りかかった男らが銃を乱射した。昨年11月にコプト教徒の男が12歳の少女に暴行した報復だという。

去年、新型インフルエンザ、いわゆるブタインフルエンザが世界中に拡大したときにもエジプト政府が大量のブタを焼き殺す様子がニュースで流れていたけれど、ブタはゴミを分別する必要のないエジプトで収集後にゴミを分別する役割を担っている。そしてブタを使うゴミの仕事に従事しているのがコプト教徒。コプト教徒はお金持ちというイメージだったのでその話を聞いた友人は驚いたという。こういう宗教的摩擦がエジプトにはあります。

オールドカイロはカイロ発祥の地。キリスト一家がエジプトに逃げてきたときに身を隠していた洞窟周辺にある教会群は駅をでるとすぐそこ。シナゴーグもあります。二千年ほど前からあるんですよ、キリストがいたんですよと言われても実感が湧きません。実際には後世に再建されたものがほとんどですが。友人がどことなくヨーロッパっぽいと言っていましたが、ヨーロッパに行ったことがないのでわかりません。

馬に乗ってドラゴンを踏みつけている聖ジョージのお姿よく拝見しました。地下に行くと重い拘束具を顔に擦りつけキスをしているおじさんや、迷路のように狭くて暗い瞑想部屋の壁が蝋燭の煤で真っ黒になっており、なんだかその濃厚で神秘的な宗教的エロスの空間に眩暈。地下に謎の井戸があったので一応手を洗ってみました。自分の宗教的見境のなさに日本人のアイデンティティを感じつつ、墓地に行くと供えられていた花がとてもいい匂い。ベンチで休んでいると、近くのモスクからお昼のアザーンが聞こえます。

エジプトでは値段はあってないようなものということで、お土産屋さんではじめて交渉というものに挑戦。聖ジョージのマグネットをそんなに安くはないけど購入。お店の男の子は勉強熱心で日本語も少しだけ知っている。名前はミナ。どういう意味かたずねると「空中にあるすごいエネルギーのようなもの」だと言う。こういう抽象概念や自然現象などを言葉に閉じ込めた名前好きです。コプト教徒の名前とのこと。でも、ときどき怖いのがスペイン人女性の名前。受胎とか、無原罪の聖母とかね。

その後、お昼御飯を食べに中心地へ。
歩いていると、「なんか落としましたよ」と流暢な日本語であやしいエジプト人男子が後ろを指差す。こんな古典的な方法にひっかかって思わず後ろを振り向くと何もない。怪訝な顔でそのエジプト人を見ると「ぼくのハートが落ちたんだよ」と言ってきた。本来の名前を日本人が発音するとアラビア語でゲイと言っているように聞こえるので「ウィリアム」と名乗っている彼は日本人女性と結婚し、1児をもうけ、住んでいた熊本を「すっごい田舎」だという。たくさんのタトゥーに、顔にも耳にもピアス。黒いロックTシャツという見た目はエジプト人というよりメキシコ人。よくよく話をきくと実業家だとか、いま付き合ってる女の子は日本人とアメリカ人のハーフだとかナイジェリア人と新宿でバーを経営しているだとかあやしさ満点なのだけれど、私と同い年だったり東京で住んでいた場所が妙に近かったり、腕にしている娘の名前のタトゥーが私の名前と同じだったりして少し驚く。終始明るくオープンマインドな彼に離婚と別れた娘のことを訊ねると急に顔が暗くなりナイーヴな雰囲気を身にまとう。胡散臭いが悪い人ではなさそう。

アッパーエジプトに向かう準備のため一度、友人宅に帰宅。

2010年1月9日土曜日

スカーフのおしゃれ

昨日、EL PAISでこんな記事を読んだ。El partido de Sarkozy prepara una ley para prohibir el 'burka' con multas de 750 euros、フランスの与党幹部がブルカ、ニカーブ着用を禁止する法令を準備し、違反した場合750ユーロ(約10万円)の罰金を課すという。ブルカやニカーブなどとは明示せず、「文化行事などを除いて公共の場所や道路で顔を覆うのを禁じる」というもの。エジプトに行って初めてヒジャーブという言葉を知ったけれど、イスラム女性のスカーフの違いはコチラ。



一番左 ヒジャーブ
イスラム女性の典型的なのが顔を隠さないスカーフ。
多くの女性がアイデンティティの象徴として着用する。

左から二番目 ブルカ
全身を隠す。目の部分が布の覗き穴になっていて、そこから見えるけれども外からは見られないようになっている。手まで覆われる。

真ん中 ニカーブ
ひざまで覆うが、目の部分は隠さない。目の部分はほかのベールを組み合わせる。

右から二番目 シェイラ
長方形のスカーフで、ペルシア湾地域で使用される。頭部を覆う。

一番右 チャドル
家の外でイランの女性が使う。身体全体を覆い、頭のスカーフと組み合わせることもできる。

サルコジ大統領は数ヶ月前に公式演説で、ブルカやニカーブのような服装は望ましくないと言ったそうだけど、オランダではすでに2006年公共の場所でのブルカ、ニカーブの禁止が法制化されている。2004年にはフランスで公立学校での誇示的な宗教的標章の着用を禁止する法律がつくられた。でも、フランスの立憲主義という伝統的立場からみると政教分離に基づいた公共教育の場での宗教的中立という説明はそれなりに理解できた。しかし、公共の場での全面的禁止というのは行きすぎな気がするが、ブルカやニカーブのような全身を隠す服装は「女性抑圧の象徴」だとして昨年、国民議会(下院)に調査委員会が設置された。

女性がそこにアイデンティティ価値を見出して自ら進んで着用するものを、他者の価値で判断するのは慎重にするべきだと思う。偏見が多いのも事実で、ドイツでは09年7月、マルワ・シェルビニさんはヒジャーブを着用していたところ隣人のロシア生まれのドイツ人男性に「テロリスト」などと侮辱されたため提訴した。そして、その審理がおこなわれていた法廷でその男に刺殺された。妊娠3か月だったシェルビニさんは18回も刺され、守ろうとした夫が守衛に誤って撃たれて重傷を負った(Murder of Marwa El-Sherbini)。

でも、抑圧されている状態に本人が気づいていない場合、もしくはおかしいと思っていてもなにもできない場合というのもある。そういう場合には積極的に他者が介入していくのも必要だと思うのは先日たまたま読んだ「誰かがわたしを壊す前に」の影響。

主人公のジャジーラは13歳の女の子。自分の恋人がジャジーラに興味があることに気がついた母親はジャジーラをテキサスに住むレバノン人の父親のもとに送る。父親のリファットはとても厳格な人。父親とブラジャーを買いに行くなんて思春期の女の子には地獄だけれど、そういう気持ちがリファットには全然わからないし、結婚前にタンポンを使うのも許さない。親なんだから娘にとっていいことを知っているという。彼氏が黒人だと知ると会うのを許さない。背けば殴る。

原題のTowelheadは頭に布をまいているアラブ人の蔑称。ジャジーラは学校の同級生からそう呼ばれる。そんな中、ジャジーラは隣のミスター・ヴォーソの10歳の息子のベビーシッターをしながらミセス・ヴォーソのタンポンを盗む。プレイボーイを定期購読しているミスター・ヴォーソは13歳のジャジーラには優しくしてくれるように見えるけれど、それは彼女の女らしくなりつつある身体に興味があるから。でも、ジャジーラはそれ以上の意味があると思ってしまう。逃げ場のない思春期の女の子は痛々しい。数年前にアカデミー賞を受賞した「クラッシュ」のように性、人種、宗教様々な価値観が多方面でぶつかりあう。

ちなみにこの本、Nothing Is Private(2007)というタイトルで映画化されている。アメリカンビューティーやシックスフィートアンダーのアラン・ボールが監督。MR.ヴォーソがアーロン・エッカートだ。


さて、ニカーブの着用に関してはエジプト国内でも去年喧々諤々の議論が交わされていた。エジプトは国民の90パーセントがイスラム教徒だけれど、ニカーブの着用に関しては意見が分かれる。大半の女性がヒジャーブを着用しているカイロでもここ数年ニカーブを着用する女性が増えている。

去年9月にイスラム教スンニ派の最高学府として世界各地にイスラム教指導者を多数輩出しているアズハル大学のタンターウィ総長が、「ニカーブはイスラームと全く関係がない」という声明をだした。そして、タンターウィー総長は10月にアズハル付属のすべての教育機関でのニカーブ着用を禁じ、教師が男性の場合にのみ許可するとした。同様に、アズハルのイスラーム教育機関に付属する大学の寮でもニカーブ着用を禁止した。また、ユスリー・ガマル教育大臣も今学期の冒頭、学校内でのニカーブ着用を禁じた1995年の教育省決定を有効にすると発表していた。

しかし、12月にはニカーブを着用することは自由の一つであり、いかなる行政部局であれ、その着用を全面的に禁じることはできないとして、ニカーブ着用女子学生の学生寮への入場を許可せよとの司法判決がでている。それに対しカイロ最大の大学の一つであるアインシャムス大学は、上告すると決定し、同判決の執行停止願いを提出することにした。

参照:エジプトの大学で女子学生のニカーブ着用が司法を巻き込む論議に

エジプトで友人が戒律の厳しいイスラム教国を旅行したときに女性専用ホテルのロビーでニカーブを着た女の人が口の部分の布をさっと外してニッコリ笑ったときに同性だけどすごくドキッとしたと言っていた。たしかにニカーブを着用している女性は謎めいていて艶かしい。でも、不気味だと考える人もいる。見えないほど見たくなる、想像が逞しくなるのだ。

2009年11月27日金曜日

燃えてしまえ!(エジプト3日目)

「お前の家など燃えてしまえ!」
アラビア語で人をののしるときにはこの一言!性的な意味の多いスペイン語の罵り言葉に比べるとなんだかかわいらしい。

さて、3日目はギザのピラミッドへ。

タクシーの運賃は15から30ポンドが目安だよとの言葉を胸に友人の家を出発。最近カイロで導入されたのがメーター式のタクシー。友人の話では代金の交渉は必要ないし、場所によっては普通のタクシーより安いことも多いのでよく利用していたのだけれど、どうにも最近メーターに仕掛けがされているのか、あれ?高い!と思うことが増えたという。

大通りに出てタクシーをつかまえようとするとメーター式の白いタクシーがちょうど来たので乗ってみる。運転手が同行者の男の子に助手席に乗れと言ったので、私はメキシコと同じだと思いながらひとりで後ろに座った。そのほうが運転手も話しやすいのだろうし、一度メキシコで運転手が説明してくれたことには心理的な距離の問題でもあるらしい。大まかに言うと、運転手が前で客が後ろに座るという図式は、運転手のほうが地位が低いという感じを与えるのだとか。

ギザへと向かう道すがらどんどんメーターは上がっていく。これは仕掛けのあるタクシーに乗ってしまったかなと思いながら、外を見る。荷台に大量のむきだしのパンを乗せたトラックが横を走っていく。そのうちにピラミッドが見えてきた。すると2、3回それぞれ別の若い男がタクシーの運転手になにかを話しかけて、運転手がそれを断っている。問題なく着ければいいけれど、あやしいなと思っていたらやはり裏道に車を止めた。そこに運転手の知り合いらしい黒いガラベーヤを着たおじさんが近寄ってきた。その時点でタクシーの料金は30ポンド。ここで時間をとられたらタクシーの運賃は上がっていくし、変なことに巻き込まれそうだしと急いで降りてお金を払って入口へと歩いて行く。想定内の料金だけれど、嫌な気持ち。どこかのお店に連れて行かれるならともかく裏道はなにが起きるのかわからないから怖い。とはいうものの、エジプトに来る前にラクダ乗りの勧誘や物売り、タクシーがしつこくて大変だと聞いていたけれど、友人の話では以前は断ったり無視すれば罵られたのに政府の方針が変化したのか数ヶ月前から妙に礼儀正しいらしい。確かにしつこくない。そしてカイロは治安がいい。

思ったよりも迫力なくただただ暑かったピラミッド。じりじりと照りつける日射しの中、スフィンクスから何とか王のピラミッドへと歩いて行くだけで大変。馬車もいるけれど、下がアスファルトの道で馬が滑ると御者がペチッと鞭で叩いていた。場内には入らず、スフィンクスの目線の先にあるというピザハット、もしくはケンタッキーから見るくらいがちょうどいいかも。ピラミッド登頂も禁止されている。疲れてピラミッドの一番下の石に座っているとおしゃべりしていたのにときどき思いだしたようにピーっと笛を吹いて注意するのは、カイロのいたる所で見かける白い制服のおじさん。警察なのだろうけど、よれっとしているのは暑さと埃のせいかな。

ピザハットは高いから、エジプトの庶民料理コシャリを食べに行こうと言われたのでカイロのタフリール広場の方へバスで戻ることにした。エアコン付きだと2ポンドらしい。バス停を探してぐるりと歩いてもよく場所がわからなくて困っていたところに、「ギーザギーザ、メトロギーザ」と叫ぶおじさんのバスがやってきたので駆け寄って乗った。メトロのギザ駅まで出てしまえば地下鉄でタフリール広場まで行ける。このバスはエアコンなしで75ピアストル。

コシャリは米とマカロニ、スパゲッティなどのパスタ、ヒヨコ豆、レンズ豆に揚げた玉ねぎとトマトソースをかけた料理で5ポンドほど。安いけれど味が単調で、最初の5口くらいはおいしいけれどあとはなかなかスプーンが進まない。酢や唐辛子ソースなどをかけてごまかしながら食べるのにも限界があって完食できず。非常に予算がきびしい旅の人は毎日これを食べるらしいけど大変だなと思いつつ今回の旅の同行者がどうもそういう旅のつもりでいるらしいことに薄々気づく。私だって予算が多いわけではないけれど、あまりに細かいと嫌な気持ちになる。なんとなくこれからが不安になってきた。

2009年11月24日火曜日

埃の国(エジプト2日目)

さて、日が昇るとカイロの街並みってば茶色。さっそくバスマさんというエジプト人の女の子といっしょに考古学博物館へ。バスマさんの名前はSMILE、笑顔という意味だそう。

入場料は60ポンド。エジプト人なら1ポンド。60倍。館内はすごい人で、世界中からの観光客に各国語を操る多数のエジプト人のガイド。予想外に中国人が多くて、日本人はほとんど見かけなかったけれど、若いエジプト人ガイドが見事な発音の北京語で説明する姿に少し胸がときめいた。意外性というやつ?

人も展示品も多くて、すばらしいのにありがたみがない。ツタンカーメン王の黄金のマスクが展示されている部屋では壊れかかったエアコンが工事中のような大きい音をドドドとたてていた。ミイラ室に入るにはさらに100ポンド。バスマさんは文化人類学を専攻しているのでタダ。1ポンド20円ほどだけれど、ミイラ室に2000円の価値はなかったかも。それよりも、お金を払わないで見られた動物のミイラ室の巨大なワニのミイラがおもしろかったし、壁に並ぶ4段ベッドみたいなのに無造作に置かれたエジプトのグレコ・ローマン時代のミイラは人の形をした包帯のかたまりとグレコ・ローマンの肖像画の組み合わせが不気味な魅力。

お昼にマクドナルドで食べたマックアラビーヤはエジプト限定メニュー。イスラム教の国だから豚肉を食べないので、鶏肉と牛肉のどちらかを選べます。値段は日本とほとんど変わらないかむしろちょっと高いかも。



その後友人とバスマさんと別れて、ルクソールまでの電車のチケットを買いにラムセス駅へ。

チケット売り場を探して少しうろうろしたけれど、プラットフォーム11に行けと言われて無事に2日後の夜に出発する切符を購入、その後カイロの街中を少し散策。

夕飯はイエメン料理レストラン。殺風景な店の中に入ってテーブルに着くと奥から大きな紙を2枚持ってきてバサッと敷いてテーブルクロスに。注文を頼むと、最初にでてきたのはボンとテーブルクロス代わりの紙の上にそのまま置かれた四つ折りの焼きたての大きくて平べったいパン。塩が効いててとても美味しい。豆料理も美味。食後のロイヤルミルクティーも濃厚で美味しゅうございました。ごちそうさま。

2009年11月23日月曜日

千のミナレットの街(エジプト1日目)

エジプトへ向かう飛行機はアエロフロート。勇気があるなー、といろんな人に言われたけれど清潔で快適でした。途中ででてきたおやつがアイスだったのも嬉しかった。抹茶アイスをチョイス。


トランジットで立ち寄ったモスクワ。空港で働く人がまったく笑わない怖い、と思っていたら空港内に響き渡った笑い声。スピーカーのスイッチを入れたままおしゃべりしているらしい。隣のロシア人のおばさんと目を見合せて笑う。モスクワを飛び立ったのは夜の20:30。ぐるっとモスクワの上空を旋回すると下に見えたのは冷たくて澄んだ空気の中でキラキラとオレンジ色に輝く街の光。

エジプトに着いたのは夜の11時ごろ。飛行機を降りるとモスクワとは違って暖かい。半袖で充分。印紙をUS15ドルで購入。それをパスポートに貼って窓口に見せればオーケー。到着ゲートを出ると、笑顔で迎えてくれたのは友達とその旦那さん。お世話になります。

カイロの街はもちろん夜、タクシーから見える街並みにところどころ緑色に光るモスクのミナレット(尖塔)。カイロは千のミナレットの街とも呼ばれています。

2009年10月11日日曜日

ファラオの呪い

エジプトの友人から旅の2、3日前から帰国後2、3日後までビオフェルミンを飲み続けたほうがよい、とメールがきた。エジプトでは外国人がお腹をくだすことを「ファラオの呪い」と呼ぶらしい。メキシコでは「モクテスマの復讐」と呼ばれているけれど、エジプトのは高熱や嘔吐を伴ったりすることもあるみたいでなんだか強烈そう。

いろいろなブログにお邪魔をしてエジプト旅行記を読んでいる。おもしろくて、しかも旅程の参考になる。私も今年の2月から3月にかけて行った5泊6日の上海旅行について忘れちゃう前に書いておこう。



旅仲間は妹。上海に行くと決めて、航空券を購入しようとネットでみた旅行会社に電話をすると対応してくれたのは中国人の女性。馬さん。思えばそこから中国旅行は始まっていた。

その前にHISにも航空券について質問していたのだけれど、電話での対応はあまりいい印象ではなかったし、カウンターでの対応は丁寧だったけれどなぜか利用したいと思わなかった。日程と燃油サーチャージのこともあるのでなるべく手頃な値段でお願いしたいと希望を伝えると「そうだよねー、わかるわかる。」と中国人特有の日本語で言った馬さんにぐっときた。

いくつかの可能性を提示したあと、日系の航空会社のお手頃なチケットが手に入るかもしれないという。「うちは航空会社にけっこう強いから70%大丈夫だと思う」、明日確認して連絡するという。80%でも60%でもない70%という絶妙な数字。ちなみにこの日「ちょっと航空会社から電話がかかってきたので5分後くらいに電話をかけ直す」と言われて電話を一度切られている。
マイペース。

次の日、電話を待っていてもかかってこない。こっちから電話すると「あっ!忘れてた!申し訳ありません」と謝ってくれた。なんだか憎めない。いま確認してからかけ直すと言われて一度電話を切られた。そして、また航空会社から電話がかかってきたのでともう一度電話を切られたけれど、最終的に日系の航空券は無理だったので中国国際航空のチケットに決まった。

この話を聞いた友人は時間と心に余裕があったからいいけれど、これがほかの人だったらすごく怒るかもねと言った。そうかもしれない。このマイペースぶりをチャーミングと思える、これがこの中国旅行のコツだったのかも。

2009年9月8日火曜日

まず本から

エジプトに関する本を読もうと探している。

でも、古代エジプトの本はうんざりするほどあるのに、現代のエジプトの本が少ない。ピラミッドもかっこいいけれど、気になるのは今生きている人たち。

1995年にノーベル文学賞を受賞したナギーブ・マフフーズの作品は行く前に読みたい。

テーマは「半世紀にわたる急速な社会・政治および文化的変化を目撃してきたエジプトのミドルクラスの関心と夢」。「彼が所属する現代カイロという特殊な社会に対する批判の目を提供するだけでなく、現代の人間が抱える問題に対する普遍的な見方を提供する」ことによって「すべての人類に当てはまるアラビア語の文学を作り出した」と評価されている。

そういえば一巻だけ読んだままの古川日出夫「アラビアの夜の種族」もエジプトが舞台だった。時は来た!