2008年11月16日日曜日

風神とライジングサン。



琳派展でひさしぶりのおひとりさま活動。

夏の『対決-巨匠たちの日本美術展』以来、俵屋宗達のことが気になる私。
今回も光琳やら抱一やら其一やらはそっちのけで宗達、宗達。

力強い勢いと華やかさが拮抗する緊張感。
他の人が書いた『風神雷神図』と見比べてみても、やはりその差は歴然。

養源院の杉戸の動物絵も迫力も華もあるのに邪魔にならないスッキリした感じ。
それにしても、阿吽で対になっているのをみるとなぜか心が疼きます。狛犬とか仁王とか。

夏、ある宗達の絵に付けられていた「デザイン性の高い作品」というのを見て以来、
江戸時代の屏風と「デザイン性」という言葉の違和感が消化できなくて気になっていたのだけれど。

マガジンハウスの雑誌、『BRUTUS』の琳派特集号に答えを発見。

『エゴがなく、「美しい」をストレートに伝えることのできる図像を、
 現代では「デザイン」と呼ぶ。 
 だから「琳派はデザイン」だし、「見ればわかる」のだ。』

そうか、そういうことかと納得。

宗達と光悦のコラボ作品も素敵でした。
常日頃、あまり和文の書はおもしろくないと思っていたのだけれど、光悦の書はさすがの魅力。
でも、同時に公開されていた日常の文(手紙)の字はけっこう適当で、
(見る人が見ればそのキラリと隠れたセンスに気づくのかもしれないけれど)
その力が抜けた感じもおもしろかったです。

琳派の名前の由来である尾形光琳の作品は、どことなく女々しい気がします。

それとこれとは関係ないのですが、
光琳が描いたパトロン中村内蔵助の絵のキャプションに
「とりわけ親しい」、「愛しささえ」といった言葉が並ぶのを見て
腐女子的想像が走り出してしまうのを抑えることができませんでした。

琳派という連なり、残念ながら後世に行けば行くほど力強さがなくなっていく気がしました。
閉館時間も迫って足早に抱一、其一の作品を見ながらも、やっぱり宗達のことが忘れられなかったのです。