2008年12月29日月曜日

あの日。

12月25日と言えば、俗にいう「あの日」なわけだけれど、みなさんどう過ごされたのでしょう?

私は旧友に会いました。

半年に1回という私にとっては驚きのペース(数年会わないこともザラ)。
に加えて、その友人が携えてきたのは、
いわゆる同じ友人グループに属しながら
どうしても私が知人以上の認識を持てなかった女の子が来月結婚するということ。
高校時代に、ただでさえ驚異の天然パーマであったのに
さらにスパイラルパーマをかけていた男の子が電撃的に結婚したこと、
しかもその奥さんがびっくりするほどかわいいこと。
といったニュースの数々。

私の高校は池袋に近かったのだけれど、
あの頃の東京といえば、渋谷の全盛期がちょっと落ち着いて、池袋に活気があったころで、
池袋サンシャインで無差別殺傷事件が起きたときも、
同じクラスのある男の子が(いわゆるガングロ、ギャル男であった)
授業のある時間帯であるにも関わらず事件現場にいた彼の友人から
携帯電話で直接一報を受け速報ニュースとほぼ時間差もなく
私たちのクラスはそのニュースを知ったのでした。
そんな事件から来年2009年で10年になります。

そんな時間を共有した同級生たちが
その後、コブクロや二人称が「おまえ」の和製ラップやレゲエをBGMに恋をし、
結婚して人生の別のダンジョンに進んでいるのかと考えると、
なんだか自分の立ち位置がとても離れているように思えて、心もとない気持ちになったりします。

しかしながら、一緒に神田淡路町の『たけむら』でおしるこを食べ、路地を散策、
そのあと神保町の『さぼうる』で「あの日」を過ごした友人が見せてくれた
最近の彼女の活動報告写真は、関東近県の各地で撮った、巨大観音像。
なんだかちょっと安心したのでした。

2008年12月13日土曜日

勝利の女神。



アール・ヌーヴォーとアール・デコの時代のフランスで活躍した工芸家、ルネ・ラリック。

最近、興味が自分の中で再燃している分野。

したがって、家族旅行とはいえ、興味のない家族とは別行動。
ひとり、箱根ラリック美術館へ行ってきました。

そして、心臓を射抜かれてしまったのが、「ヴィクトワール、勝利の女神」。上の写真。
1920年代の車のラジエーター・キャップにつけるマスコット。
つまり、あのベンツの車の先っぽに付いているものなのだけれど。

車のメタルな質感とガラスの優美でなめらかな質感の組み合わせが強烈で目が離せません。

ほかの作品、花瓶にしても、ネックレスやら飾り襟などの装飾品にしても、
グロテスク、でも、しつこくないし、不快でもない。すごく惹き付けるのです。

エロティシズム、官能性、素材としての美、
この3つが『アール・ヌーボーの世界』(中公文庫)には
アール・ヌーボーの特徴として挙げられていたのだけれど、
言葉で表現されていることが見て感じたこととつながった感じがしました。

特に、何点かラリックの娘の作品も展示されていたのですが、
官能性と素材のつくりだす緊張感というか迫力のようなものが感じられず、
私の眼には退屈な作品に見えたのでした。

帰りには、小田原で1814年創業のかまぼこ屋さん、『かごせい』で籠青の黒というかまぼこを購入。
いか墨が練りこんであるのだけれど、このイカ。 ジャポニズム。


2008年11月16日日曜日

風神とライジングサン。



琳派展でひさしぶりのおひとりさま活動。

夏の『対決-巨匠たちの日本美術展』以来、俵屋宗達のことが気になる私。
今回も光琳やら抱一やら其一やらはそっちのけで宗達、宗達。

力強い勢いと華やかさが拮抗する緊張感。
他の人が書いた『風神雷神図』と見比べてみても、やはりその差は歴然。

養源院の杉戸の動物絵も迫力も華もあるのに邪魔にならないスッキリした感じ。
それにしても、阿吽で対になっているのをみるとなぜか心が疼きます。狛犬とか仁王とか。

夏、ある宗達の絵に付けられていた「デザイン性の高い作品」というのを見て以来、
江戸時代の屏風と「デザイン性」という言葉の違和感が消化できなくて気になっていたのだけれど。

マガジンハウスの雑誌、『BRUTUS』の琳派特集号に答えを発見。

『エゴがなく、「美しい」をストレートに伝えることのできる図像を、
 現代では「デザイン」と呼ぶ。 
 だから「琳派はデザイン」だし、「見ればわかる」のだ。』

そうか、そういうことかと納得。

宗達と光悦のコラボ作品も素敵でした。
常日頃、あまり和文の書はおもしろくないと思っていたのだけれど、光悦の書はさすがの魅力。
でも、同時に公開されていた日常の文(手紙)の字はけっこう適当で、
(見る人が見ればそのキラリと隠れたセンスに気づくのかもしれないけれど)
その力が抜けた感じもおもしろかったです。

琳派の名前の由来である尾形光琳の作品は、どことなく女々しい気がします。

それとこれとは関係ないのですが、
光琳が描いたパトロン中村内蔵助の絵のキャプションに
「とりわけ親しい」、「愛しささえ」といった言葉が並ぶのを見て
腐女子的想像が走り出してしまうのを抑えることができませんでした。

琳派という連なり、残念ながら後世に行けば行くほど力強さがなくなっていく気がしました。
閉館時間も迫って足早に抱一、其一の作品を見ながらも、やっぱり宗達のことが忘れられなかったのです。

2008年9月24日水曜日

個性


東京都写真美術館で開催中の『ヴィジョンズオブアメリカ展』

肩にカメラをさげたおじさんが、奥さんが必死に止めるのも構わず、
「これだよ、これ!!俺ぁ、これが見たかったんだ!!」
と叫んだ写真は、アンセル・アダムスの『月の出、ヘルナンデス、ニューメキシコ』。

ベルベットのようになめらかな黒い空に浮かぶ月、流れる雲、
浮かび上がる教会と墓地のスケールの大きさは確かに強烈。

キャプションには、「多くのアメリカ人が愛してやまないイメージ」の言葉。
確かに、アメリカらしい、アメリカっぽい写真が並んでいるのだけれど、
その中で日系人の写真家の人が撮った写真を見て、懐かしい、
というかこの感覚なじみ深い、と思ったのはその浮世絵的構図のせい?

思い出したのは、ドウス昌代著『イサム・ノグチ、宿命の越境者』。
イサム・ノグチの一生に付きまとった「あいのこ」という評価。
アウトサイダーゆえの帰属性の希薄さと帰属への願望を創造の原動力としたアーティスト。

「半分はその国の血が流れているのだから、アメリカでも日本でも、ある程度は信用されてきた。同時にいつも、日本ではあまりにもアメリカ人であり、反対にアメリカではあまりに日本的と言われつづけた。換言すると、ぼくは、日本では十分に日本人ではなくアメリカでは本物のアメリカ人と認められずにきたようなものだ。。。」

世界中にマクドナルドがあって、日本食レストランがあるこのご時世、
あまりに日本的であるとか、あまりにアメリカ的という言葉の感覚がとても薄かったのだけれど、
あの写真を見てストンとなんだかこの感覚は知っている、と思ったことが日本的、という感覚なのかも。

一方、
最近よく聞いているラジオ番組で国境という枠組みに縛られずに人や文化が交流する現代、普遍化が進むことによって世界中の、いろいろな国のオーケストラの音に特徴がなくなり、没個性的となっている、という話を聞く。

国や文化という個性が一般化したときに台頭する個性っていったいなんだろう。

2008年7月27日日曜日

波斯料理。

おひとりさまブログを始めたにも関わらず、
何らかの会に参加させてもらうことの多かった7月。

ペルシア料理もそのひとつ。
最後に飲んだチャイのカップに謎のひげのおじさん。


初めて吸った水煙草の器にも彼。

はじめての水煙草はオレンジ味。クッピーラムネのような味。

場所は高円寺。レストラン&バー、ボルボル

初めて見たベリーダンスも素敵でした。

デザインというもの。


東京藝術大学大学美術館でやっていたバウハウス・デッサウ展にそのオレンジ色のチラシに惹かれて行ったのは、7月の初め。

”1919年にドイツ、ヴァイマールに誕生した造形芸術学校、バウハウス。ヴァイマール、デッサウ、ベルリンと拠点を変え活動し、1933年、ナチスの台頭とともに閉校を余儀なくされたバウハウスは、やく75年経った今も、世界中のデザインや建築に影響を与え続けています。”

自分が興味を持っている分野ではいつだってある程度のアンテナは張っているつもりなのに、
ある日急にドアが開いて風通しがよくなったかのように今まで見えてなかったものが見えるときがある。

そういう時って、ワクワクする。今回もまさにそういう感じ。

こ、これ、が、デザイン、と、いうもの、なの?

タイポグラフィー、字を見て興奮。
文字が意味持つから、ではなくて。
字の造形、形、線そのもののちから。

2008年7月20日日曜日

おひとりさま映画祭。

ひとりで東京国際レズビアン&ゲイ映画祭に行ってきた。
というと、結構驚かれるのだけれど。

その紹介作品の中のミュージカル率の高さを思えば必然でしょ。

観たのは。

WERE THE WORLD MINE シェイクスピアと僕の夢

ミュージカル好きのゲイの男の子ティモシーが学校の授業で
シェイクスピアの『真夏の世の夢』で妖精パックを演じることに。
台本にでてくる伝説の媚薬のレシピを偶然見つけたティモシーは、
まず薬で学年の人気者ラグビー選手を自分に夢中にさせ、さらに町全体を。。。



会場で思わず笑ってしまいました。
だって、ティモシーの妄想で授業中にクラスメイトが踊りだしたりするんだもの。

『バッド・エデュケーション』を観たときには、
その男子だけの閉塞的な空気に、女子の入る余地が全然なくて観終わった後に呆然としたけれど、
『シェイクスピアと僕の夢』は観終わった後に、楽しい気分になれた。
(ただ、ティモシーの憧れの彼が見目麗しいだけという感じが気に入らなかったけれど)

でも、問題はその後に観た、

LES CHANSONS D'AMOUR 愛の歌、パリ

なんだか、意味がわからなすぎて要約もできない。。。

次の日の午前中も、その意味のわからなさが頭の中をグルグル廻る。
フランス映画って、意味がわからない意味がわからないってよく言うけれど。
この意味のわからなくてグルグルするのを愉しめばいいってことなのかな?



でも、最近日本で公開されるフランス映画って、
『○○○、パリ』とか『パリ、×××』という邦題が多くて、??と思っていたのだけれど。
この映画で納得。あの街って、匿名の出演者というか、主演と対当する存在感。

時間が合わなかったのだけれど、
スペイン映画のCHUECATOWNも観たかったな。”熊系”カップル。

2008年7月7日月曜日

デイドリームビリーバー。

おひとりさま生活の落し穴。それは白昼夢。

なんだかおかしい!!
と思うような場面に遭遇しても、それを共有する人がいないため、
どこまでが本当でどこまでが自分の脳のなせる業なのかわからないというもの。

例えば、
東京の最先端のどまんなか、表参道ヒルズの前を
もんぺにほっかむりの小さいおばあさんがトテトテ歩いてるのを見てしまうとか。
目をゴシゴシふいて確かめなおしたくなってしまう。古典的だけれど。

下町の町屋で、今川焼屋さんの前で野菜を売ってたり、
日暮里から大きな行李を担いで山手線に乗ってくるもんぺ姿のおばあさんを見ても自然な感じなのに。

会員を集ったところ、身の回りには予想外にたくさんのおひとりさまがいて。
やはり白昼夢に遭遇することもある様子。

電車で自分の前に村上春樹そっくりの人が村上春樹の本を読みながら座っていた。とか。

仕事中でいつもとおる通路で、壁しかないはずの所にある日ドアがあって
そこからおじいさんが2人出てくるのを見た。という話など。

私の持論はとくに低血圧の時に白昼夢に邂逅する確率は高くなるような気がするというもの。
自分ひとりしか見ていないから、うまくその感覚を説明できなくてもどかしいのだけれど、
なんだか妙に味わいがあるおひとりさま白昼夢。

ぜひともいろんな人のデイドリーム体験知りたいものです。

2008年7月5日土曜日

サンパウロとベルリンと東京。

今日はサンパウロに行ってきた。

といっても、本当のサンパウロは地球の裏側。




私が行ったのは東京の浅草のサンパウロ。


バナナジュースを飲みながら、ケストナーの『エーミールと三人のふたご』を読んでいたのだけれど、

(浅草のサンパウロでベルリンの話を読むってなんだかごちゃごちゃしてていいと思う)。

こんな記述があってうれしくなってしまう。

「ぼくは、市電の一七七番に乗って、シュテーグリッツに行くところだった。
べつに、シュテーグリッツに用事があったわけではない。
ぼくは、自分が知らない、知り合いもいない町を散歩することが好きなのだ。
そうすると、なんだか外国に来たような気がする。
そして、しんそこひとりぼっちでさみしくなると、急いで家に帰って、リヴィングでとっくりとコーヒーを楽しむ。」




そうそう。これが、おひとりさまの醍醐味。


2008年6月25日水曜日

菫の花咲く頃。






それはそれは清らかに澄みわたる川の流れのような、爽やかな舞台でございました。

見てきました。初宝塚!!

Me And My Girl

といっても、正確には今回は一人ではなくて、連れて行ってもらったのだけれど。
(カイトさん、どうもありがとう!!)

キラキラじゃなくて、綺羅綺羅!!
男役の人は足が長いし、女役の人たちの鎖骨と背中の美しさったら。

観終わった後は、なんだか私も踊りたくなる。
マスゲーム好きの金正日の気持ちだって、この点に関してはわからなくもないくらい。
(といっても、あの笑顔は無理だし、もちょっと人数少なくていいし、それに現代的な感じでお願いしたいけど)

上野駅の広くて高さのある中央改札口を通るたびに
ここにフランク・シナトラみたいな人が現れて、
そしたら急にサラリーマンやらOL、制服着た学生や駅員さんとかがみんなで踊りだす、
みたいなことが起きたらいいのにと思う。本当に。

2008年6月23日月曜日

おひとりさまクラブ。

東京。

映画館にひとりで行ってもへっちゃらだし、

喫茶店でひとりでぼんやりしてても全然平気だし、

ちょっとさみしいかもしれない、と思うのは、
今のところ中華料理を食べにいくときくらい。

(家族と大皿を分け合って食べる大家族の我が家。。ひとりで中華料理を食べると予想外にさみしかった)

以前、東京を離れて帰ってきたときに、

「東京恋しかったなぁ」、「東京のこと案外知らないのだなぁ」

と思って、東京を味わうつもりだったのは2年前。

今日の今日まで、なにもしてこなかったのだけれど。

周りも少しずつ「ひとり」という言葉に敏感になってきている今日この頃。
「ひとり」が楽しいうちに、時間が自由になるうちに、楽しんでおくべきでは。

ということで。
「おひとりさまクラブ」の活動を始めることにしました。

で、今日は。

日本橋のミカド珈琲で「ひとりモカソフト」。

それにしても。
ウィーン風カツレツって、なかなかほかの場所では見ないのに、
日本橋界隈の洋食屋さんではよくみかけるメニュー。
昔々、ウィーンに留学したことのある官僚やらサラリーマンたちが、
青春の思い出の味として仕事帰りにビールとともに食べてたのかもね。