2008年7月20日日曜日

おひとりさま映画祭。

ひとりで東京国際レズビアン&ゲイ映画祭に行ってきた。
というと、結構驚かれるのだけれど。

その紹介作品の中のミュージカル率の高さを思えば必然でしょ。

観たのは。

WERE THE WORLD MINE シェイクスピアと僕の夢

ミュージカル好きのゲイの男の子ティモシーが学校の授業で
シェイクスピアの『真夏の世の夢』で妖精パックを演じることに。
台本にでてくる伝説の媚薬のレシピを偶然見つけたティモシーは、
まず薬で学年の人気者ラグビー選手を自分に夢中にさせ、さらに町全体を。。。



会場で思わず笑ってしまいました。
だって、ティモシーの妄想で授業中にクラスメイトが踊りだしたりするんだもの。

『バッド・エデュケーション』を観たときには、
その男子だけの閉塞的な空気に、女子の入る余地が全然なくて観終わった後に呆然としたけれど、
『シェイクスピアと僕の夢』は観終わった後に、楽しい気分になれた。
(ただ、ティモシーの憧れの彼が見目麗しいだけという感じが気に入らなかったけれど)

でも、問題はその後に観た、

LES CHANSONS D'AMOUR 愛の歌、パリ

なんだか、意味がわからなすぎて要約もできない。。。

次の日の午前中も、その意味のわからなさが頭の中をグルグル廻る。
フランス映画って、意味がわからない意味がわからないってよく言うけれど。
この意味のわからなくてグルグルするのを愉しめばいいってことなのかな?



でも、最近日本で公開されるフランス映画って、
『○○○、パリ』とか『パリ、×××』という邦題が多くて、??と思っていたのだけれど。
この映画で納得。あの街って、匿名の出演者というか、主演と対当する存在感。

時間が合わなかったのだけれど、
スペイン映画のCHUECATOWNも観たかったな。”熊系”カップル。

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