お酒の力を借りたおかげで眠れた。朝起きると壁が薄いから隣りの部屋の人の気配がずいぶん聞こえてくる。たぶん昨日は寝ぼけていたんだろうということにする。
油っぽい中華料理に疲れたので、サブウェイでサンドウィッチを買って人民公園で食べていると、「日本人?」と3人の若い子が話しかけてきた。遠距離恋愛中の彼女が故郷の街から弟とやってきたので、上海で働いている男の子が2人を案内しているところだという。「中国にいて中華料理を食べないで、サブウェイを食べるなんて!」と言って、これからちょうど2人を案内するところだからといろいろな中国茶を試し飲みできる功夫茶に誘われたので一緒に行くことにした。
話を聞くと、大学の授業で出会ったふたり。背が高い男の子(のちに彼氏になる)が前に座っていて「よく見えないんだけど!」と文句をいったのが出会い。ラブコメみたい。5種類のお茶と中国ならではのお茶請けを3種類。すべて説明が中国語だったけれど3人が英語で説明してくれた。中国の女の子が油っぽいものを食べてあれだけ細い理由がわかった気がする。彼女とその弟の分のお金を払い、さらには彼女の家族へのおみやげもどーんと買うジミー(男の子の名前)を見て、やっぱり男の子はこうでなくちゃね、と思う。
3人にお礼を言って、別れを告げる。ジミーにはバーしかないからあそこは夜に行くところだよと言われたのだけれど、『フレンチ上海』(平凡社)という本を読んでから興味があったので、フランス租界に行ってみることにした。
イギリスやアメリカが金銭面や統括上の便宜性から租界を共同で運営しようとする中、共同租界への参加を否定したフランス。そして、ビジネス中心で発展した英米の共同租界とは違い共和制の理念の下、「フランス式文化政策」が推し進められたフランス租界には国内外の様々な紛争が原因となって多くの中国人やロシア人、韓国人、ユダヤ人たちが住む場所を求めてやってきたという。そして、その自由な空気を好んだ知識人や思想家が住むこの租界は世界中から革命的思想を持つ人々が集る拠点になった。中国共産党もここで産まれたのです。日本のガイドブックにもやたらと紹介されている地区だけれど、行ってみると残念ながら昔日の名残はきれいに整備され、お台場のような場所となっていた。ジミーの言ったとおり。孫文の家だけを見て去る。
そもそもそんなに観光に興味がなかったのだけれどその週から火曜日は観光地の入場料が半額になったとテレビでみたので、東方明珠塔に上って見ることにした。
そんなに混んではいなかったけれど、並んでいるとその脇のすき間を後ろから来た中国人たちがどどっと進んでいく。本当に待てないんだね。入口にあった日本語のパンフレットを並んでいる間に読んでいたのだけれど、読み終わってかばんにしまおうとすると前にいた中国人のおじさんが何も言わずさっと手をのばして私のパンフレットを手に取り読み始めた。驚いた私と日本語にとまどうおじさん。微妙な空気が流れた。
東方明珠塔から見た外灘に並ぶ豪奢な租界時代の建物はオレンジ色に光っていた、反対側を見るとSFの惑星都市のような高層ビルが白い光で浮かび上がる。東方明珠塔の地下にある歴史博物館はおすすめ。凝っていておもしろかった。柵をどんどん乗り越えて展示物と写真を撮る中国人の姿も見られます。
租界時代からの建物を使ったホテルはたくさんあるけれど、そのグレードもピンきり。5日目は四馬路(福州路)にある少しグレードアップして新城飯店、すなわちメトロポール・ホテルに泊まった。四つ角のうち3つが同じ形のビルの交差点(パーマー&ターナー事務所の設計)。その不思議な迫力に興奮した割に写真を撮っていないので、1930年代に撮られたと思しきその交差点の写真をどうぞ。今もまだこんな感じです。
最期の夜は街をなんとなくブラブラしてゆったり過ごしました。食べてみたかった麻辣湯も食べられて大満足。麻は山椒の辛さ、辣は唐辛子の辛さ。ちなみにマクドナルドにあるのが麻辣バーガーというたぶん中国限定メニューは豚肉にちょっと辛いソースがおいしかった。
麻辣湯は春雨や白菜やホウレンソウ、きくらげなど自分の好きな野菜、お肉をいれて食べる辛いスープ。普通はお店の人にこれとこれとこれを入れてね、と言うとそれらの具材をさっとスープに入れて煮てくれるのだけれど、後ろからどんどん押して自分たちの注文を大きな声でする中国人の中で言葉のできない私たちが注文することは無理だろうと思っていたときに見つけたのが自分たちで好きな具材を選んでかごに入れてお店の人に渡せばそれでスープをつくってくれるお店。辛くて鼻水がでるけど身体は温まるし、ちゃんとしたレストランで食事はしなかったけれど、安くておいしかったです、上海。
中国の女子トイレの汚さにも目を見張ったけれど、この旅で一番印象に残ったのは老若男女、知らない人に躊躇なく話しかけて会話する中国の人たち。地下鉄でも街角でも、普通に話しかけられた。もちろん何を言ってるのかわからないのだけれど、ナンパとかではなくて本当にささいな質問。道だとか、時間だとか、地下鉄の駅のことだとか。日本ならわからないことがあったらだいたい自分で情報を探して処理するか、専門の人に訊くけれど、中国の人はまず横にいる人に訊く。知らない人とのあいだの壁の薄さ、低さに驚いた。
上海は治安がいいと思ったけれど、一度だけおじさんが現行犯逮捕されてパトカーに乗せられているのを見かけた。そのときも、パトカーの周りにはみっしりと人だかり。やっぱり中国は人口が多いんだなと思ったその人口密度。一部始終を目撃していた街角の靴磨きのおじさんにだれかが「なにがあったんだい?」と尋ねたのだろう、靴磨きのおじさんが熱を込めて説明する周りにも人だかりができた。でも、後ろの方の人は聞こえない。そこで、自分の前にいる人に「なんて言っているんだ?」と訊く。こうして会話の連鎖が広がっていくのを少し遠くから見ていた。
少し前にロイホでひとりランチをしていたら、隣に座ったおばさまグループが今までに世界中を観光してどこがよかったとか嫌だったかと話していて、中国は「人が多すぎる」という理由で酷評されていた。確かにもう少しまわりを見てほしいなと思うこともあるけれど、上海おもしろかったんだけどな。
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