2009年11月30日月曜日

主観的な問題

職場でちょっとしたセクハラ騒動。物を渡すときに軽く手を握ってくるとか、挨拶する時にやたら肩や腕に触るというか軽く撫でてくるという程度なので、まぁ大騒ぎするほどでもないけれど奥さんがいるのに最低だなと思いつつ、毎回断っているけれど仕事帰りにお茶しようと誘われるとか、ビヨンセが腰を振って踊りまくるセクシーなPVを職場でこれたまらないよねと言いながら見せられるとかも、中南米の人なので違う文化ということもあるし、困った大人だなと思いながら受け流してきたのだけれど、ここ数週間はさりげなく後ろから近づいてきて腰に手をまわされることが何回かあって、さすがにちょっと嫌だなと思っているとほかの人にコメントしたところそれが上司の人に伝わって事情聴取としてお茶をすることになったのは先週の金曜日。

今までの経緯を説明すると、別の日に本人を呼び出して注意すると言ってくれた上司。ありがたいけれど、まだ笑って許せるくらいの話。そこまで大きい問題になると思っていなかったので慌てて、結局は今の状態を認識してとりあえずは様子を見てもらうことになった。

セクハラというのはとても主観的な問題だという話になった。ほかの人にはダメでもその人には気にならないということがある。どこで線を引くかは難しい。お茶を飲みながら、周りからセクハラ要注意人物と思われているほかの男の人の話になったときに「あの人は私にもやたらと触ってくるのよ」と言いながら「女」の顔で笑った上司。私はどこまで許せるんだろう。

これが職場で見せられたPV↓

Beyonce_Single Ladies

こっちの動画だったらよかったのに。
上のPVの振付をしたJONTE。すばらしくかわいい↓


2009年11月27日金曜日

燃えてしまえ!(エジプト3日目)

「お前の家など燃えてしまえ!」
アラビア語で人をののしるときにはこの一言!性的な意味の多いスペイン語の罵り言葉に比べるとなんだかかわいらしい。

さて、3日目はギザのピラミッドへ。

タクシーの運賃は15から30ポンドが目安だよとの言葉を胸に友人の家を出発。最近カイロで導入されたのがメーター式のタクシー。友人の話では代金の交渉は必要ないし、場所によっては普通のタクシーより安いことも多いのでよく利用していたのだけれど、どうにも最近メーターに仕掛けがされているのか、あれ?高い!と思うことが増えたという。

大通りに出てタクシーをつかまえようとするとメーター式の白いタクシーがちょうど来たので乗ってみる。運転手が同行者の男の子に助手席に乗れと言ったので、私はメキシコと同じだと思いながらひとりで後ろに座った。そのほうが運転手も話しやすいのだろうし、一度メキシコで運転手が説明してくれたことには心理的な距離の問題でもあるらしい。大まかに言うと、運転手が前で客が後ろに座るという図式は、運転手のほうが地位が低いという感じを与えるのだとか。

ギザへと向かう道すがらどんどんメーターは上がっていく。これは仕掛けのあるタクシーに乗ってしまったかなと思いながら、外を見る。荷台に大量のむきだしのパンを乗せたトラックが横を走っていく。そのうちにピラミッドが見えてきた。すると2、3回それぞれ別の若い男がタクシーの運転手になにかを話しかけて、運転手がそれを断っている。問題なく着ければいいけれど、あやしいなと思っていたらやはり裏道に車を止めた。そこに運転手の知り合いらしい黒いガラベーヤを着たおじさんが近寄ってきた。その時点でタクシーの料金は30ポンド。ここで時間をとられたらタクシーの運賃は上がっていくし、変なことに巻き込まれそうだしと急いで降りてお金を払って入口へと歩いて行く。想定内の料金だけれど、嫌な気持ち。どこかのお店に連れて行かれるならともかく裏道はなにが起きるのかわからないから怖い。とはいうものの、エジプトに来る前にラクダ乗りの勧誘や物売り、タクシーがしつこくて大変だと聞いていたけれど、友人の話では以前は断ったり無視すれば罵られたのに政府の方針が変化したのか数ヶ月前から妙に礼儀正しいらしい。確かにしつこくない。そしてカイロは治安がいい。

思ったよりも迫力なくただただ暑かったピラミッド。じりじりと照りつける日射しの中、スフィンクスから何とか王のピラミッドへと歩いて行くだけで大変。馬車もいるけれど、下がアスファルトの道で馬が滑ると御者がペチッと鞭で叩いていた。場内には入らず、スフィンクスの目線の先にあるというピザハット、もしくはケンタッキーから見るくらいがちょうどいいかも。ピラミッド登頂も禁止されている。疲れてピラミッドの一番下の石に座っているとおしゃべりしていたのにときどき思いだしたようにピーっと笛を吹いて注意するのは、カイロのいたる所で見かける白い制服のおじさん。警察なのだろうけど、よれっとしているのは暑さと埃のせいかな。

ピザハットは高いから、エジプトの庶民料理コシャリを食べに行こうと言われたのでカイロのタフリール広場の方へバスで戻ることにした。エアコン付きだと2ポンドらしい。バス停を探してぐるりと歩いてもよく場所がわからなくて困っていたところに、「ギーザギーザ、メトロギーザ」と叫ぶおじさんのバスがやってきたので駆け寄って乗った。メトロのギザ駅まで出てしまえば地下鉄でタフリール広場まで行ける。このバスはエアコンなしで75ピアストル。

コシャリは米とマカロニ、スパゲッティなどのパスタ、ヒヨコ豆、レンズ豆に揚げた玉ねぎとトマトソースをかけた料理で5ポンドほど。安いけれど味が単調で、最初の5口くらいはおいしいけれどあとはなかなかスプーンが進まない。酢や唐辛子ソースなどをかけてごまかしながら食べるのにも限界があって完食できず。非常に予算がきびしい旅の人は毎日これを食べるらしいけど大変だなと思いつつ今回の旅の同行者がどうもそういう旅のつもりでいるらしいことに薄々気づく。私だって予算が多いわけではないけれど、あまりに細かいと嫌な気持ちになる。なんとなくこれからが不安になってきた。

2009年11月24日火曜日

埃の国(エジプト2日目)

さて、日が昇るとカイロの街並みってば茶色。さっそくバスマさんというエジプト人の女の子といっしょに考古学博物館へ。バスマさんの名前はSMILE、笑顔という意味だそう。

入場料は60ポンド。エジプト人なら1ポンド。60倍。館内はすごい人で、世界中からの観光客に各国語を操る多数のエジプト人のガイド。予想外に中国人が多くて、日本人はほとんど見かけなかったけれど、若いエジプト人ガイドが見事な発音の北京語で説明する姿に少し胸がときめいた。意外性というやつ?

人も展示品も多くて、すばらしいのにありがたみがない。ツタンカーメン王の黄金のマスクが展示されている部屋では壊れかかったエアコンが工事中のような大きい音をドドドとたてていた。ミイラ室に入るにはさらに100ポンド。バスマさんは文化人類学を専攻しているのでタダ。1ポンド20円ほどだけれど、ミイラ室に2000円の価値はなかったかも。それよりも、お金を払わないで見られた動物のミイラ室の巨大なワニのミイラがおもしろかったし、壁に並ぶ4段ベッドみたいなのに無造作に置かれたエジプトのグレコ・ローマン時代のミイラは人の形をした包帯のかたまりとグレコ・ローマンの肖像画の組み合わせが不気味な魅力。

お昼にマクドナルドで食べたマックアラビーヤはエジプト限定メニュー。イスラム教の国だから豚肉を食べないので、鶏肉と牛肉のどちらかを選べます。値段は日本とほとんど変わらないかむしろちょっと高いかも。



その後友人とバスマさんと別れて、ルクソールまでの電車のチケットを買いにラムセス駅へ。

チケット売り場を探して少しうろうろしたけれど、プラットフォーム11に行けと言われて無事に2日後の夜に出発する切符を購入、その後カイロの街中を少し散策。

夕飯はイエメン料理レストラン。殺風景な店の中に入ってテーブルに着くと奥から大きな紙を2枚持ってきてバサッと敷いてテーブルクロスに。注文を頼むと、最初にでてきたのはボンとテーブルクロス代わりの紙の上にそのまま置かれた四つ折りの焼きたての大きくて平べったいパン。塩が効いててとても美味しい。豆料理も美味。食後のロイヤルミルクティーも濃厚で美味しゅうございました。ごちそうさま。

2009年11月23日月曜日

千のミナレットの街(エジプト1日目)

エジプトへ向かう飛行機はアエロフロート。勇気があるなー、といろんな人に言われたけれど清潔で快適でした。途中ででてきたおやつがアイスだったのも嬉しかった。抹茶アイスをチョイス。


トランジットで立ち寄ったモスクワ。空港で働く人がまったく笑わない怖い、と思っていたら空港内に響き渡った笑い声。スピーカーのスイッチを入れたままおしゃべりしているらしい。隣のロシア人のおばさんと目を見合せて笑う。モスクワを飛び立ったのは夜の20:30。ぐるっとモスクワの上空を旋回すると下に見えたのは冷たくて澄んだ空気の中でキラキラとオレンジ色に輝く街の光。

エジプトに着いたのは夜の11時ごろ。飛行機を降りるとモスクワとは違って暖かい。半袖で充分。印紙をUS15ドルで購入。それをパスポートに貼って窓口に見せればオーケー。到着ゲートを出ると、笑顔で迎えてくれたのは友達とその旦那さん。お世話になります。

カイロの街はもちろん夜、タクシーから見える街並みにところどころ緑色に光るモスクのミナレット(尖塔)。カイロは千のミナレットの街とも呼ばれています。

2009年11月18日水曜日

Ciudad Lluvia

Hoy despierto y me parece que, aun sigo soñando
Puedo oir al mar llamandome
Doy un salto fuera de la cama
Y abro la ventana
Me da un beso la brisa salada

Y en la cocina todo esta ordenado
Ya no hay platos sucios
Me pongo a bailar
Y en las noticias ya no hay nada de que hablar
Por que en el mundo
Todo tiene su lugar

Hoy me alegro de ir a trabajar
No se me hizo tarde
Oigo musica en toda la calle
Veo a la gente y me parece que, aun sigo soñando
En sus ojos, yo me puedo ver

Y en la avenida todo es un carnaval
Por que en tu mundo yo ya tengo mi lugar

Antes del atardecer, voy a la playa
Puedo oir al sol, llamandome
Veo a la gente y me parece que, aun sigo soñando
En sus ojos yo me puedo ver
Doy un salto dentro de algun bar
Tal vez te pueda encontrar
Sirveme un martini

Sale la luna, todo es un carnaval
Por que en el mundo
Todo tiene su lugar
Y en las noticias ya no hay nada de que hablar
Por que en tu mundo me voy a quedar

Para pa pa
pa ra ra

En la cocina todo esta ordenadoo ya
Me pongo, me pongo, me pongo a bailar
Todo es un carnaval, un carnaval

Por que en tu mundo, en tu mundo
En tu mundo yo ya tengo mi lugar.




Fase_Acapulco 78

2009年11月9日月曜日

I'M SO MUCH PRETTIER INSIDE



Gnarls Barkley_Blind Mary

I love Mary!
Blind Mary, marry me
I love Mary!

She has never seen the sunshine
Yet she's getting along just fine
She's not staying, she's just passing through
Hey, do you mind if I follow you?

[Chorus]
I love, Mary!
Blind Mary, marry me
I love, Mary!
Yeaaaahhhhhhhhhh

I heard a voice say catch me if you can
Before you know it I was holding her hand
It's harder to imagine than understand
How she knows exactly who I am
Yeaaaahhhhhhhhhh

[Chorus]

She's my friend, she doesn't judge me
She has no idea I'm ugly
So I've absolutely nothing to hide
Because I'm so much prettier inside
Yeaaaahhhhhhhhhh

[Chorus]

2009年11月5日木曜日

中華人民(4日目+5日目)

お酒の力を借りたおかげで眠れた。朝起きると壁が薄いから隣りの部屋の人の気配がずいぶん聞こえてくる。たぶん昨日は寝ぼけていたんだろうということにする。

油っぽい中華料理に疲れたので、サブウェイでサンドウィッチを買って人民公園で食べていると、「日本人?」と3人の若い子が話しかけてきた。遠距離恋愛中の彼女が故郷の街から弟とやってきたので、上海で働いている男の子が2人を案内しているところだという。「中国にいて中華料理を食べないで、サブウェイを食べるなんて!」と言って、これからちょうど2人を案内するところだからといろいろな中国茶を試し飲みできる功夫茶に誘われたので一緒に行くことにした。
 
話を聞くと、大学の授業で出会ったふたり。背が高い男の子(のちに彼氏になる)が前に座っていて「よく見えないんだけど!」と文句をいったのが出会い。ラブコメみたい。5種類のお茶と中国ならではのお茶請けを3種類。すべて説明が中国語だったけれど3人が英語で説明してくれた。中国の女の子が油っぽいものを食べてあれだけ細い理由がわかった気がする。彼女とその弟の分のお金を払い、さらには彼女の家族へのおみやげもどーんと買うジミー(男の子の名前)を見て、やっぱり男の子はこうでなくちゃね、と思う。

3人にお礼を言って、別れを告げる。ジミーにはバーしかないからあそこは夜に行くところだよと言われたのだけれど、『フレンチ上海』(平凡社)という本を読んでから興味があったので、フランス租界に行ってみることにした。

イギリスやアメリカが金銭面や統括上の便宜性から租界を共同で運営しようとする中、共同租界への参加を否定したフランス。そして、ビジネス中心で発展した英米の共同租界とは違い共和制の理念の下、「フランス式文化政策」が推し進められたフランス租界には国内外の様々な紛争が原因となって多くの中国人やロシア人、韓国人、ユダヤ人たちが住む場所を求めてやってきたという。そして、その自由な空気を好んだ知識人や思想家が住むこの租界は世界中から革命的思想を持つ人々が集る拠点になった。中国共産党もここで産まれたのです。日本のガイドブックにもやたらと紹介されている地区だけれど、行ってみると残念ながら昔日の名残はきれいに整備され、お台場のような場所となっていた。ジミーの言ったとおり。孫文の家だけを見て去る。

そもそもそんなに観光に興味がなかったのだけれどその週から火曜日は観光地の入場料が半額になったとテレビでみたので、東方明珠塔に上って見ることにした。

そんなに混んではいなかったけれど、並んでいるとその脇のすき間を後ろから来た中国人たちがどどっと進んでいく。本当に待てないんだね。入口にあった日本語のパンフレットを並んでいる間に読んでいたのだけれど、読み終わってかばんにしまおうとすると前にいた中国人のおじさんが何も言わずさっと手をのばして私のパンフレットを手に取り読み始めた。驚いた私と日本語にとまどうおじさん。微妙な空気が流れた。

東方明珠塔から見た外灘に並ぶ豪奢な租界時代の建物はオレンジ色に光っていた、反対側を見るとSFの惑星都市のような高層ビルが白い光で浮かび上がる。東方明珠塔の地下にある歴史博物館はおすすめ。凝っていておもしろかった。柵をどんどん乗り越えて展示物と写真を撮る中国人の姿も見られます。





租界時代からの建物を使ったホテルはたくさんあるけれど、そのグレードもピンきり。5日目は四馬路(福州路)にある少しグレードアップして新城飯店、すなわちメトロポール・ホテルに泊まった。四つ角のうち3つが同じ形のビルの交差点(パーマー&ターナー事務所の設計)。その不思議な迫力に興奮した割に写真を撮っていないので、1930年代に撮られたと思しきその交差点の写真をどうぞ。今もまだこんな感じです。


最期の夜は街をなんとなくブラブラしてゆったり過ごしました。食べてみたかった麻辣湯も食べられて大満足。麻は山椒の辛さ、辣は唐辛子の辛さ。ちなみにマクドナルドにあるのが麻辣バーガーというたぶん中国限定メニューは豚肉にちょっと辛いソースがおいしかった。

麻辣湯は春雨や白菜やホウレンソウ、きくらげなど自分の好きな野菜、お肉をいれて食べる辛いスープ。普通はお店の人にこれとこれとこれを入れてね、と言うとそれらの具材をさっとスープに入れて煮てくれるのだけれど、後ろからどんどん押して自分たちの注文を大きな声でする中国人の中で言葉のできない私たちが注文することは無理だろうと思っていたときに見つけたのが自分たちで好きな具材を選んでかごに入れてお店の人に渡せばそれでスープをつくってくれるお店。辛くて鼻水がでるけど身体は温まるし、ちゃんとしたレストランで食事はしなかったけれど、安くておいしかったです、上海。

中国の女子トイレの汚さにも目を見張ったけれど、この旅で一番印象に残ったのは老若男女、知らない人に躊躇なく話しかけて会話する中国の人たち。地下鉄でも街角でも、普通に話しかけられた。もちろん何を言ってるのかわからないのだけれど、ナンパとかではなくて本当にささいな質問。道だとか、時間だとか、地下鉄の駅のことだとか。日本ならわからないことがあったらだいたい自分で情報を探して処理するか、専門の人に訊くけれど、中国の人はまず横にいる人に訊く。知らない人とのあいだの壁の薄さ、低さに驚いた。

上海は治安がいいと思ったけれど、一度だけおじさんが現行犯逮捕されてパトカーに乗せられているのを見かけた。そのときも、パトカーの周りにはみっしりと人だかり。やっぱり中国は人口が多いんだなと思ったその人口密度。一部始終を目撃していた街角の靴磨きのおじさんにだれかが「なにがあったんだい?」と尋ねたのだろう、靴磨きのおじさんが熱を込めて説明する周りにも人だかりができた。でも、後ろの方の人は聞こえない。そこで、自分の前にいる人に「なんて言っているんだ?」と訊く。こうして会話の連鎖が広がっていくのを少し遠くから見ていた。

少し前にロイホでひとりランチをしていたら、隣に座ったおばさまグループが今までに世界中を観光してどこがよかったとか嫌だったかと話していて、中国は「人が多すぎる」という理由で酷評されていた。確かにもう少しまわりを見てほしいなと思うこともあるけれど、上海おもしろかったんだけどな。

2009年11月1日日曜日

魔都上海(3日目)

行きの道はすいていたのに、周圧からの帰り道は渋滞。

暗くなってから上海に戻って、南京西路の小揚生煎館に生煎を食べに行く。生煎とは焼いた小籠包のこと。外がカリッとしていて中からスープがこぼれおちてくる。いつも行列の人気店で、最初にお金を払ってから行列に並ぶのだけれど、お金を払うのに並んでいるとどんどん後ろからお金を差し出す手がのびてきてそっちが先に処理されてしまう。せっかちだ。

なんだかホテルの部屋には帰りたくないので、どこかジャズでも聞けるバーにでも行こうと妹を誘った。

というのも実はその日、明け方に目が覚めると部屋の中を歩き回るたくさんの足音が聞こえた。あれ?と思いながらじっとしていると窓側だった私のベッドの片側でごろりと人の重さでベッドが沈んだ感覚がした。わ!と思って横に寝ている妹に話しかけようと思ったら、身体が動かない。いわゆる金縛り。身体が動くようになって少しうらめしい気持ちでグースカのんきに寝てる妹を見ながら朝を迎えたのだ。

福州路にあるHouse of blues & jazzは香港の俳優がやっているというお店。生演奏のジャズが聞けるというお店の中に入ると金融関係と思しき西洋人男性たちが葉巻を吸い、シャンパンをのんでいる。その横の女性たちはアジア人欧米人含め、え?見えちゃうよという深いスリットのスカートや黒いエナメルのトレンチコートといういかにも夜の商売な格好。魔都上海、世界中から来た夢見る男女がジャズのリズムに身をまかせた夜の都市。その片鱗を観賞しながら食べたシーザーサラダのレタスが新鮮でフォークが進む。ベルギービールで気持ちよくほろ酔い気分で店を後にした。四馬路から南京東路へ歩いて行く道は人気がなく、租界時代の建物が街灯のあかりにひっそりと浮かび上がる。