どうしてこんなに多くの人が村上春樹の「1Q84」が買うのか。どうしていろいろな人が村上春樹をいいというのかわからない。一度、大学生のころに「ノルウェイの森」を薦められて読んだときの感想は、ふーんという感じ。「最近の小説なんて読まないさ。今になっても読み継がれて名作のほうがいい。それだけ認められているってことだからね。ははん」といったようなことを主人公に言っていた先輩くらいしか印象に残っていない。
漫画家の日本橋ヨヲコが以前あるインタビューで、なんとなく冷めた感性の持ち主であった自分が阪神大震災で偶然居合わせ被災して、意識が変わったと言っていた。うろ覚えだけれど、世界には”感動的なこと”というのが実際にあって、それに素直に感動していいんだ。人間はいつか死ぬ、だったらやりたいことやった方がいいと思ったという。
シンプルなことなのに、シンプルすぎてうまく折り合えない。素直じゃないなー、と思ってまたふてる。でも、最近人と話しているうちに実に思う。ポジティブなことは本当に重要だ。前向きな人はついつい応援したくなる。勢いがある。だからみんながいいというものもきっといいんだろう。
ということで、村上春樹の「東京奇譚集」を買って読んでみた(折り合い)。偶然にも内容はここのところ私の頭の中を占めている、すぐに忘れ去られてしまうような運命の話。ふーむ。こんな東京もあるのかなと違和感。嫌いというのでもないのだけれど、おもしろいだとか、素敵だとかとは違う妙にゾワゾワする感覚。そして、それとは別に、些細なところが鼻につく。と思ったのは最初の方。最後の猿のその突拍子もなさはおもしろかった(素直)。
私も、そのうち、折り合いをつけようと思っているところです。。
返信削除「折り合いをつける」という言葉はほろ苦いです。でも、そのほろ苦さとか折り合いとの葛藤が生きてるとか人間ってことなのかも、と思ったりしました。
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