2009年12月10日木曜日

妄想の作法

結局、上司の方がセクハラ氏に私から話を聞いたとは本人に言わずに「見ているとあなたの行動は職場にふさわしくない」と言ってくれることなったのは1週間前。それ以来、被害はなくなった。というか、セクハラ氏はあいさつもしなくなったし目も会わせないようになった。とても気まずい。

オッス!トン子ちゃんの続巻がポプラ社から発売された。マスターの衝撃的な過去に電車の中で笑いを堪えたけれど、トン子ちゃんの作者はバカドリルのメイン絵師。そして、バカドリルがmixiの日記に書いたのが下のアントワネット妄想。わー、ビックリした。私もずっと前から「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」を応用するというのを考えていて、いろんなひとに訊いてみたかったのだけれど、ウザイめんどくさいと思われるのがオチと思っていたら同じようなこと考えている人がいるんだね。今日も「図書館になければアマゾンで買えばいいじゃない」の脳内KY発言にそそのかされてAmazon.co.jpを徘徊しています。

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【妄想入門・その8・アントワネット妄想】

「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」
マリー・アントワネットによるこの有名な発言が、当時のフランス庶民の感情を、大いに逆なでしたことは間違いない。しかし声高に彼女を批判した者の中にも、その裕福さに一種の感動を覚えた者は少なくないだろう。
虐げられた側にも、密かなセレブ願望はある。民衆は革命に蜂起しながらも、彼女に屈折した憧れを抱いていたに違いない。

格差社会と言われる現代。しかし18世紀のフランスに比べると、私たちにはまだ、それを憂うだけの余裕がある。たしかに生活は苦しいが、ときには自らアントワネットになりきることで、ひとときの裕福感を味わうのも悪くない。

「パンがなければお寿司をとればいいじゃない」
そう胸の内でつぶやくで、たとえそれが小僧寿司のいなりセットでも、私たちは自ら広げた選択肢に、心地よい手応えを感じることができるだろう。
「服がなければパジャマでいいじゃない」
近所のコンビニくらい、パジャマ姿でいいじゃない。真のセレブは外見など気にしない。自分に言い聞かせたアントワネット発言が、あなたを着替えの煩わしさから解き放つ。
「靴がなければティッシュの空き箱でいいじゃない」
捨てればゴミの空き箱も、身につけることでファッションになる。アントワネットの思想は早すぎたエコだったのかもしれない。ちなみにティッシュ箱を履くときは、中に5枚程ティッシュを残すとよい。残したティッシュがクッションがわりになり、履き心地が格段にあがる。

果たして物質的に豊かなことだけが、幸福の条件だろうか?
「車がなければおんぶでいいじゃない」「テレビがなければアリの観察でいいじゃない」「携帯がなければ貝殻耳に当てればいいじゃない」「トイレットペーパーがなれけば木べらでいいじゃない」「家がないなら他人のベランダでいいじゃない」
貧しさを嘆くより視点を変え、拓かれた可能性に目を向ける。
当時のフランスで、パンの代わりに菓子を示した彼女の言葉は、たしかに歴史上もっとも有名なKY発言と言えるだろう。しかし彼女が無邪気に提示した「いいじゃない精神」は、物質主義に固執したいまの時代にこそ、再評価されるべきではないだろうか?


これ買おうかな?

2 件のコメント:

  1. セクハラ氏じゃなくて、セクハラ史を書いてみたら??
    なぁんつって…キャキャキャッ

    湯たんぽ女

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  2. >匿名さん

    湯たんぽ続けてる?

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