2009年3月30日月曜日

間男

花の金曜日。雑踏でごった返す終電間近の渋谷駅、チャージするという友人を改札前で待っていると男の人に声をかけられた。名刺を見ると、どうやら彼が働いているのは有名店。もう一度会ってみることにした。待ち合わせは土曜の夜8時に青山で。

地下鉄の表参道駅の出口を上って青山通りの横断歩道を渡り、明治神宮の反対方向に歩いていく。暗い道路の両脇に浮かび上がる閉店後の誰もいない有名ブランド店のショーウィンドウ。指示されたとおりに或るお店の横を曲がる。コンクリート打ちだしの建物の2階が待ち合わせ場所。

閉店直後の美容院。

そう。金曜日に声をかけてきた青年は美容師のたまご。ものまねタレント、ホリをGペンでガリガリ描いた挙句に失敗したような顔の宮崎出身の彼の練習台になるかわりに、無料で髪の毛を染めてくれると持ちかけてきたのでした。

「今日はホンット、っすいません」と「マジすか?」を連呼する彼は、就業時間以外の自由時間を使ってカラーモデルをみつけなくてはならないけれどずっと断られ続け、ギリギリでみつかったのが私というわけ。かくいう私も、「自然」なフランス女は美しいというぐうたらな私にはぴったりの世間の風潮にのっかって5年以上も髪の毛の色を変えていないわけで、ちょっとそわそわ。

時間を計りながら彼が作業した結果は「で、これ失敗なの?成功なの?」と訊きたくなるような出来上がり。よくわからないけど、髪の色がずいぶん明るくなったことは事実。気に入らないというほどでもないのだけれど、年相応に老けた気もするし、今までの洋服の色とは雰囲気が合わなくなったなぁという感想。まぁ、これが未来のお手伝いになったならそれでいいのかな。

私が高校生の頃はちょうどカリスマ美容師ブーム。その頃から名を馳せている有名店だったのだけれど、彼ら研修生を監督する立場であろう人たちが2人いて、そのうちの1人は本木雅弘の顔にロンバケの頃の久保田利伸のような髪の毛の人。

そして、もう一人は、加瀬亮と
チュ・ジフンを
足して2で割ったような顔で見事な立体的ショートヘアの人。隣の椅子に座るカラーモデルの頭のすぐ後ろで、アゴを45°上げて「コレはこうすればいいんじゃねえの?」と研修生にぞんざいに言ったすぐあとに前屈みになり鏡の中のカラーモデルと目を合わせ「本当に今日はすいません。ありがとうございます」と物腰柔らかに立派な営業スマイルで微笑む。そのスイッチの切り替えを横目で凝視していた私は、その人が私の背後に立ったとき妙に緊張しました。やはり有名店の第一線で活躍するカリスマと呼ばれる人たちは個性的です。

ひと昔前の春といえば、規則の厳しかった高校から自由になったばかりのうら若き乙女たちがとりあえず挑戦してみたパーマヘアであふれかえっていたけれど、自由な学生生活という風潮の影響かはたまたパーマ技術の向上の恩恵か最近はそういった初々しい姿を見かけなくなりました。せっかく無料で髪の色を変えてもらったので、ここ数年通っていて信頼のおける、しかしいつもお互いの会話に数センチの距離感がある美容院に行ってパーマでもかけようと思います。でも、髪の毛の色を変えたら少なくとも1週間から10日は間を置いたほうがいいそう。ああ。中途半端が苦しい。。

2009年3月23日月曜日

3時間ミャンマー



知人が前座で参加するライブを観に行った。

メインのバンドを知らなかったので最初は「どこの国の人だろう?」と思ったのだけれど、ミャンマー語の古くからの言葉(パリ語)でsupernatural mind“特別な心”という意味のIZZATTAというメンバー全員ミャンマー出身のバンド。結成1周年の誕生パーティと大塚のミャンマー仏教徒寺院設立のための寄付という目的のライブ。

8人編成、おそらくバンドリーダーであろうリードギター。気持ち良さそうなドラム。淡々と演奏するセカンド・ギター。笑顔で周囲に気配るベース。入れ替わり立ち替わりゲスト含め数人のボーカルが歌う。黒いTシャツの見た目からもうちょっと激しいのを想像していたのだけれど、予想外になめらかなポップやバラードの演奏。観客もところどころで合唱。演奏の合間合間にステージとフロアーで飛び交う笑いとミャンマー語。言葉はわからないのだけれど、みんな楽しそうでそんな気分が伝染した第1部。第2部は想像していたようなロック。やはり次々にボーカルが替わるのだけれど、その中でもパーカッション兼ボーカルの人の歌声をもっと聞いていたかった。素敵だったから。

BBCのThe Restaurantという番組でフランスの有名シェフ、レイモンド・ブランが「ニコラ、君の料理は最高だよ。。家庭料理のレベルではね。でも、お金を払うとなると話は別だ」と言っていたけれど、いますぐ青春小説または映画になるのではないかというほどメンバーの個性がしっかりしていて初めてかつ話している内容がまったくわからないにも関わらず、勝手に親しみを感じてしまった私はもし機会があれば是非もう一度彼らのライブに行きたいです。お金払って。

2009年3月20日金曜日

美と性別



『花の生涯 梅蘭芳』の後半はレオン・ライになるとやはりレオン・ライという展開。そこが魅力なのだろうけど、いまひとつ烈しさが足りないといつも思う人。

青年時代の梅蘭芳(余少群)の匂いたつような色気に興奮したのは前半。
現代悲劇『一縷の麻』を演じる姿には私も生唾をごくり。

「芸術が自然を模倣するのではない。自然が芸術を模倣するのだ。」とオスカー・ワイルドは言ったけれど、1907年から1908年にかけて軍と皇帝政府内のホモセクシュアル・スキャンダルに揺れていたドイツ。

1908年に外交問題でげっそりしたヴィルヘルム2世がお気に入りの男たちのグループで、シュヴァルツヴァルト(黒い森)の狩猟で気晴らしをしようとした。ところがその夜のパーティでとんでもないことが起こる。

軍事秘書官長ディートリヒ・フォン・ヒュルゼン=ヘーゼラー伯爵はその夜の宴会の余興で、テュテュを着て、バレリーナに扮し、パ・スールを踊ったのであるが、心臓麻痺を起こして急死。ショックで皇帝も失神してしまう。

『ホモセクシュアルの世界史』(文春文庫、海野弘)のこのくだりを読んで電車の中で思わず笑ってしまったと話すと、「妄想ならなんでも自由だと、なんでもできると思っていたけれど、敵わないね。絶対に思いつかないもの」と友人は言った。



もうちょっとこの世界に浸ってみようと竹宮惠子の『風と木の詩』を再読するために注文した。なぜか近所の図書館には『風と木の詩』『日出処の天子』『残酷な神が支配する』が揃っていたのだけれど、どういう基準だったんだろう。マンガだと思って手にとった小学生の期待を良くも悪くも裏切ることは間違いないのだけれど。